昨年末、アイキャンプ(第25話)の一員として南インドにあるチベット人居住区を訪れた。するとさっそく「オガワー、オガワー!」と遠くから手を振っている男性に出会った。よく見るとメンツィカン同級生のタラではないか。8年ぶりの再会になる。小さな子どもを二人連れて幸せそうだ。「いいか、この人はなあ、チベット語を喋っているけど日本人のアムチなんだぞ」と笑いながら子どもに説明しているその明るい雰囲気は学生時代からまったく変わっていない。彼とは学生時代から仲が良く、たまに食事にも出かけていた間柄だ。「元気そうだな。ここのメンツィカン病院で働いているのか」という僕の問いに「いや、ずっと働いていたけど、つい先日、独立開業したんだ」というので驚いた。いや、驚くこともないか。考えてみれば卒業してもう10年になる。独立開業したいと思うのは自然な流れかもしれない。
学生時代のタラ 2005年
そして翌日、仕事の僅かな合間を見つけて彼の病院を訪問した。診察室のほかにマッサージ、薬浴、鍼灸の部屋がある理想的な病院が少し羨ましくもあったけれど「僕も2年前に日本の森のなかに小さなお店を建てたんだ」と自慢をして話は盛り上がった。寮生活ですっと5年間一緒に過ごしていたからだろうか(第169話)。民族の垣根を越えて格別の仲間意識があることに、いま改めて気が付かされる。チベット語では特別な学友をドジェ(チャナドジェ=金剛手菩薩)・プン(兄弟)ドク(友)と呼ぶ。原義としては「同じ高僧の下で学んだ法友」であり、準じて切磋琢磨して学んだ同級生に用いられる。
すぐ近くのメンツィカン分院には、やはり同級生だった医僧ダワ(第177話)が勤めていることがわかったが、あいにく出張中で会えなかった。そこでアイキャンプに訪れたチベット人に「メンツィカンのダワ医師は僕の同級生なんだけど、評判はどう?」と尋ねてみた。すると「あのダワ先生と同級生ですか!」と驚かれたあとに「とてもいいお医者さんで、いつも患者さんの行列ができています。」と教えてくれた。そうか、さすがダワだ。地道に頑張っているなー。なんだか自分が褒められているかのように嬉しくなってきた。そのとき、かつてダワが何気に僕に向かって呟いた一言、「歳を取って老僧になっても、お尻を叩かれながら仏教を学び続けていることが私の夢なんだ」という言葉が不思議と思い出された。偉くなるのではなく、仙人のようになるでもなく、お尻を叩かれつづけていたいと語る仏教観がとても印象に残ったとともに、そんな謙虚な彼だからこそ患者から慕われているのだろうと納得がいった。
そしてドジェ・プンドクといえば、無二の親友だったジグメ(第2話)の近況を知って驚いた。なんと、なんとダライラマ法王の侍医補佐に任命されたという。若くして異例の抜擢にチベット社会から驚きの声があがっているらしい。だからなのか、先日、法王がお風邪を召されてしまったのは「あの侍医はまだ経験が浅いからだ」という批判も同時に耳にした。ちなみに1933年にダライラマ法王13世が急死した際に侍医だったチャンバは遠方流罪に処せられている(第48話)。2008年に法王が体調を崩してあわやという事態になったときの侍医は頭を丸刈りにして反省の意志を示された。侍医はそれくらいに大変な職務なのだが、ジグメならば大丈夫。なにしろ、法王の法話集を熟読し、法王の御言葉を誰よりも真摯に受け止め実践しようとしていた姿を僕はよく知っているからだ。最初は少し肩に力が入るだろうが、数年後にはきっと法王だけでなく民衆からも全幅の信頼を寄せられると信じている。
さて、南インドではじめて開催したアイキャンプ。この居住区に入るには特別な許可書が必要なために、普段、外国人はほとんど訪れない。だからこそチベット語を話す日本人(僕)はとても珍しがられた。でも「あのダワ医師やタラ医師と同級生だからですよ」と説明するとみんな安心とともに納得してくれる。地元の老人たちに通訳する際は「どうされましたかー」と大きくゆっくりと明瞭な発音で話しかけなくてはならないが、かつてメンツィカンの研修医時代に問診で鍛えたおかげで慣れたもの。「あなたのチベット語は聞きやすいねえ」とおじいさんから褒められて、ちょっと嬉しくなった。タラ、ダワ、ジグメ、お前たちほど大変ではないかもしれないけれど、俺も俺なりにメンツィカン卒業生としての誇りを胸に頑張っているぞ。
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