砂漠に突如現われる ハマリン寺院
鉄道駅のあるサインシャンダの街から、ダンザンラブジャーが建立したハマリン寺院までは約40km、ゴビ砂漠の道を走る。
平らな砂の大地が緩やかに下り坂になると、目の前に砂漠には不釣合いなほど巨大な寺院とそれを取り巻くゲル集落が出現した。これがハマリン寺院である。正直、かなり異様な光景だ。
来る前に数年前の写真を見返したが、そこには山門だけが立派でお寺の代わりのゲルが写っていた。
しかし、今では、巨大な建物が数棟あり、後方には天を突くような仏塔が建っている。えらい変わりようだ。
モンゴル人の参拝者で賑わう境内
早速、本堂に入ると参拝に来ているモンゴル人で賑わっている。
舗装道路が整備され、ウランバートルから車を飛ばすと片道4-5時間。頑張れば日帰りできるということで、
願い事や心配事、占いや法要などでこの地を訪れるモンゴル人が急増中なんだそうだ。
実際、私の見ている前で、いくつかの家族がお坊さんにお経を読んでもらっていた。
日本で言う「厄払い」や「七五三」の感覚だろうか。生活に密着した様子が感じられた。
逆に外国人は、私一人のようだ。
おどろおどろしい尼寺でお祈りをする
本堂をでると、その隣には少し小さめながらレンガ造りの立派な尼寺があった。
入ると正面のご本尊も、堂内の壁画も女尊(女神)ばかりだ。密教の尊格だけに、恐ろしい形相をしている。
実は、この出張に出る1週間前に、田舎の祖母を亡くしていていた私は、葬儀にいけなかったこともあり、どこか途中で祖母のためにお祈りをしたいと思っていた。同行のハグワさんが「女性の供養だからここがいい」と尼さんに読経を依頼してくれた。
尼さんはうなずいて、観音菩薩の涙から生まれたという女神「緑ターラー」のお経を読み、読経が終わると、お経で私の頭をポンと叩き、五体投地をするように促される。ようやく祖母の霊に向き合えたと、少し心が軽くなる。
異次元な仏塔にぶったまげる
お堂を出るとその背後には2011年にできたという直径も高さも16mの仏塔(チョルテン)が立っている。
仏塔の1階部分の内部は広々としたホールになっていて、壁面にはグル・リンポチェの八変化(グル・ツェンゲ ※1)や、仏教圏ではおなじみのゾウ、サル、ウサギ、トリのお話「親睦四瑞(トゥンパ・プンシ ※2)」などをモチーフにした銅版がはめ込まれている。ものすごく豪華な空間で「え、ここは本当にモンゴル?」と思わずにはいられない。
(しかし、この図柄をきちんと解説できるモンゴル人のガイドって一体何人いるんだ?)
驚くべきはこの仏塔、実は1911年に革命100周年を記念して建設する際、その費用をモンゴル国民の寄付だけで賄ったんだそうだ。
砂漠の真ん中のお寺に、家族でお経を上げてもらいにはるばるやって来たり、巨大な仏塔を建設するために、多額の寄付金が集ったりと、モンゴルの信仰心は、確かに高まりを見せている。
そんな信仰心の高まりが、ダンザンラブジャーのような「非主流派」といっても良い、かつての高僧を今の世に蘇らせているのではないのだろうか? そんなことを考えさせられた。<もう少し続きます>
(注)
※1 グル・リンポチェの八変化(グル・ツェンゲ)
グル・リンポチェがヒマラヤ各地に仏教を伝えた際に、相手や状況に応じて自分の姿を8つに変えて仏教の教えを伝えたという伝説があり、その8つの化身を「グル・ツェンゲ」と呼ぶ。優しく言っても聞かない相手には恐ろしい形相で力ずくで教えを授けた。
<関連記事>Who is グル・リンポチェ
※2 親睦四瑞(トゥンパ・プンシ)
ゾウ、サル、ウサギ、トリが助け合って木の実を取って食べた、というお釈迦様の前世のお話「ジャータカ」に載っている仏教圏では有名なおめでたいお話。英語で”Four Friends”とも。
<出張報告記序章>サインシャンダ、行ってみたら本当はこんなトコだった!
<出張報告記1>ダンザンラブジャー博物館の誕生秘話
つづきはこちら
<出張報告記3>いざ、シャンバラへ
<出張報告記4>世界の中心で「欲」を叫ぶ!
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