震災により村の家屋全てが全半壊してしまったパトレ村へ、復興支援ボランティアツアーのメンバーが訪れました。作業の様子を添乗員の竹嶋がレポートします。先日、前編も公開しています。併せてご覧ください!
▼パトレ村復興支援 2日目(夕方~夜)
2日目の午前・午後のボランティア作業を終え、夕食まで時間があったので、村の新しいグラウンドに行ってみました。このグラウンドは、震災後に道路の復旧などのため、村がレンタルで使用していた重機を使い、子どもたちの為に新しく造られたものです。地震発生から1ヶ月後の5月末に村を訪問した際にはまだ目下工事中という様相でしたが、今回訪問の際には既に完成していました。
夕暮れ前のグランドでは、村の子どもたちが元気にサッカーをしていました。5月の訪問時には、村の再建に奔走する大人たちのかげで、どこか時間と体力を持て余しているような、おとなしい子どもたちの姿が頭から離れませんでしたが、今回このような元気な姿を見ることができて、嬉しくなってすぐさまサッカーに参加してしまいました!(しばし私にプレーの時間を与えてくださった参加者皆さま、誠にありがとうございました!)
いつものように美味しいダルバートの夕食後、昨夜は豪雨により持ち越しとなった村人との集いの宴が開催されました。比較的広いスペースが取れる仮設家屋の前の敷地にまずは男たちが、続いて「何かおもしろそうな事が起こりそう」と天性の嗅覚で嗅ぎつけてきた子どもたちが集まってきます(笑)。その後、子どもを追っかけてきた女性たちがその場に留まり、女性同士の談笑をはじめていました。軽快なマーダル(太鼓)の音と共に男たちの歌が始まり、宴がスタート。グルン族の伝統的な民族舞踊を数曲披露してくれました。
歌と踊り好きのネパール人、その後は我々日本人を黙って鑑賞させておくことは、もちろんありません。私たちを踊りの輪に巻き込んでのダンスパーティが始まりました。「こういうときは、踊りが下手でもとにかく見よう見まねで楽しんで踊ってしまうこと。」と決めている私は、終わったかと思ったらまた次の曲がすぐ始まるエンドレスのダンスの輪の中で、村人や皆さんと一緒に踊る(手足をばたつかせる)のでした。
最後は、お揃いの民族衣装に身を包んだ村の少女たちによる踊りがありました。どの女の子もとても踊りが上手で、正直見とれてしまいました。昨年の9月に村を訪問された参加者男性の「昨年よりも踊りの女の子たちの人数が減っていました。もしかしたら震災後、村を離れて別の場所で暮らしているのかもしれませんね…。」と寂しそうに発せられた言葉が印象的でした。
▼パトレ村復興支援 3日目
翌朝、この日の午前中はまだ畑に残っているトウモロコシの収獲作業のお手伝いです。パトレ村で収獲される農作物のほとんどがこのトウモロコシだそうで、日常の消費用と麓の街ダディンベシでの販売用にもなるそうです。昨日とは違う農作業ですが、村のためになることであれば決して手は抜けません。
畑に到着後は、速やかに収獲作業開始。その前に…ドコに取り付けた頭紐をおでこに装着したところでテンションアップ、そして鎌を手に持ってさらにテンションアップ! 皆さんトウモロコシ畑に躊躇なく分け入り、ガシガシとトウモロコシを収獲し、背中のドコの底めがけて放り込んでいきます!
昨日の瓦礫撤去作業に引き続き、今回の農作業の鉄則も安全第一。だんだんと重くなっていくドコの重量で首の筋肉が痛くなってくるのですが、ついつい「まだ私は大丈夫…のはず!」と無理をしてしまいがちになるのです。まわりのメンバーから「もう溢れそうだし、無理せんと! もうあなたは十分頑張ったから帰っておいで!」とお互いに声を掛け合いながら、慣れない作業での事故を未然に防ぎます。
収獲したトウモロコシは畑から少し離れた場所にある保存倉庫までドコで運びます。その倉庫にはおばあちゃんがいるのですが、収獲したトウモロコシを持って行くと優しい笑顔で迎えてくれるのです。おばあちゃんに「ほら、こんなに取ってきたよ!」とばかりに運び入れ、おばあちゃんに「よく持ってきたねぇ。えらいよ~」と誉めてもらっているような笑顔を見るために運んでいるような気持ちになってしまいました。
作業を続けていると、この時間帯には珍しい雨が降ってきました。収獲したトウモロコシを雨に濡らすのは良くないということで、作業を切り上げ、トウモロコシを全て保存倉庫に運び込みました。
保存倉庫の2階で、既に収獲してあったトウモロコシの皮むきと選別作業をしました。大きさが小さいものは日常消費用にするので皮は全部剥き、大きくて形が良いものは売り物になるので外皮だけ剥いただけにしておきます。単純作業なので和やかな雰囲気で会話も弾み楽しい作業時間となりました。
時間になったので、トウモロコシの作業を終わらせ、早いもので村での最後の食事。もちろん最後もダルバートでした。荷造りを済ませ、村の方との別れのとき。
シェルさんからボランティア作業と村滞在に感謝の言葉をいただいた後、一人一人に「感謝状」が手渡されました。
その後、メンバーからお一人ずつ、今回のパトレ村滞在での感想と村へのメッセージをコメントいただいたのですが…、
もうメンバーも村人も、最後にはNKTスレシュも涙が溢れて、しばしコメントを中断し、誰も何も言わずに時間だけが流れる、別れの悲しみを共有する数十秒の「間」が幾度となくありました。この「間」は、国籍の壁を越えたとても人間の情を感じる「間」であったのをはっきりと記憶しています。
村の方々と集合写真を撮り、パトレ村を後にしました。
カトマンズに「帰る」というよりも、パトレ村を「旅立つ」という気持ちの方が強くなっているのが不思議でした。滞在中は短い日数で、ごく限られたボランティアしかできませんでしたが、手伝いをしたというよりは、逆に村から与えてもらった心が沢山ありました。
きっとメンバーの誰もが「またこの村に帰ってきたい」そう思われたに違いありません。実際に学校の先生をされている方は「今度は、学生たちを連れて戻ってきます」とおっしゃっていました。
パトレ村は確かに震源地に近い被災地であり再建中の村です。しかし、そんな中でも、人や自然に対する寛容な心、そして困難な状況を乗り越えられてきた強さ、そして人と自然とともに生き抜く知恵と、それを生かして暮らしている豊かな心があります。
私もまたパトレ村へ、いや村の方々に会いに行きたいと思っています。
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竹嶋のネパール・レポート(パトレ村編1)
竹嶋のネパール・レポート(パトレ村編2)
竹嶋のネパール・レポート(パトレ村復興支援ボランティア 前編)