6月、レンタカーで軽井沢近くの碓氷峠を通過するとき、妻が沿道に群生する植物に興味を示した。
「ねえ、ねえ、あの葉っぱ、なんか変だよ。数枚だけ白くペンキに塗られたみたいに変色している」
高速道路を運転中ではあるが、幸いにして、それだけのヒントがあれば振り向く手間を省いて答えることができる。
「きっと、マタタビだね。一説によると、数枚の葉っぱを白く変色させて、受粉のために虫を呼び寄せているらしいよ」
「へえー。じゃ、あのかわいいピンクの花は?」
今度は前方に注意しつつ、少しだけ沿道に視線をやった。
「あれは、ネムノキ。6、7月の短い期間しか花を咲かせないんだ」
最近、こうして助手席の妻が沿道の草木に興味を示しては、運転手の僕を困らせるようになっている。おかげで、東京から信州への移動中も「高速道路自然観察会」を開催できそうである。
こうして車から薬草を観察しているとメンツィカンでのヒマラヤ薬草実習が思い出される。当時、トラックでの移動中も薬草の探索を怠らなかったものだった。そうして鍛えられたおかげでメンツィカン出身のアムチ(チベット医)は押し並べて「薬草動体視力」にきわめて優れている。また、あるアムチは来日時に飛行機の中から富士山の麓を眺めて「薬草がたくさんありそうだ」とつぶやいたのは本当の話である。アムチたるもの、どんなときも薬草に対する注意力を怠ってはならないのだ。
話は変わって8月のラダック伝統医療ツアーの最終日。ティンモスカンで特産の杏をたっぷり頂いたあと、風のツアー一行を乗せた車はレ―へ抜ける山道を疾走していた。荒涼とした岩山が広がる大パノラマ。そのとき僕の視界に濃い緑色の植物が一瞬、眼に入った。「あっ、麻黄だ。ストップ!」と叫ぶと、車を急停止させて下車した。確かに麻黄だ。風邪薬の有効成分エフェドリンを含有する貴重な薬草で、多くの漢方薬に配合されている。同乗していた医師Aさんが「小川さん、このスピードでよく気が付きますね」と感心してくれた。先日のスタクモ村ではアムチとしていいところを見せられなかっただけに(第149話)、今回は面目躍如といったところである。
「では、Aさんも発見してみてください」と促すと、身を乗り出すように沿道を凝視しはじめた。スピードは80キロ近く出ているだろうか。「いま、一株、見逃しましたね」と教えると、「しまった!」と子どものように悔しがるAさん。医師の名に掛けて、鬼気迫るほどの集中力が伝わってくる。しばらくして「あっ!」とAさんがはじけるような笑顔とともに声を上げた。「Aさん、やりましたね。発見です」。ついに自力で一株目を発見! すると不思議なもので、次々と眼に入ってくるようになり「わ、わ、わ、凄いですね。この道を麻黄ロードと名付けましょうよ」とすっかり麻黄動体視力を獲得したようだ。
ツアー参加者たち
ほんとに不思議なもので、ある閾値を超えると、突然、その薬草と一体化し、薬草から「おい、ここにいるよ」と呼びかけられるような感覚になる。その域に達するには従来の薬草観察会や机上の学びだけでは不十分。ひたすら薬草を採取し続けたり、口にしたり、高速移動のなかで薬草に集中したりという修練によって得られる能力なのである。情報収集力、解析能力を鍛えていく日本の医療教育とは対照的だ。だからこそ、僕の海外ツアーや国内での薬草講座では、薬草の探索、採取、洗浄、乾燥、刻み、焙煎、配合、服用、という一連の作業を体験してもらうことで、いまの日本の医療教育にはない「生きる知恵」「考える力」を補うことができるのではと思っている。
Aさんが発見した麻黄を手にしながら「これと杏があれば、麻杏湯(注1)がラダックで作れますね」と僕が提案すると、Aさんは「ほんまや!」と大きな関西弁で感動してくれた。ゼロから薬を作れる喜びと自信。東洋、西洋を問わずして、医療の第一歩は薬草を見つけること、いや、「薬草を絶対に見つけたるわ!(関西弁)」と気合いをいれることからすべてははじまるのだ。
さあ、来年はあなたの番です。いまから日本の高速道路で薬草動体視力を鍛えておいてください(注2)。
(注1)
本当の処方は麻黄甘石湯。気管支を広げ、また痰を出しやすくして呼吸を楽にする漢方薬。麻黄、杏仁、甘草、石膏からなる。
(注2)
運転中の薬草観察は道路交通法で禁止されていませんが、くれぐれも前方にご注意ください。
(参考)
本エッセーの一部は、「風通信48号・伝統医学のそよ風」と重複しています。風通信もぜひ、御一読ください。
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