8月に催行されたラダック伝統医学ツアーの初日、レ―郊外のスタクモ村を訪れた。幹線道路から5kmほど走り、時代の流れが止まったままのような村に着くと、僕たちツアー一行はのんびりと散策することにした。畑仕事をしている村民たちが手を休めて「ジュレ―(こんにちは)と声をかけてくれる。そうやって2時間後に戻ってきたとき、ジープのそばに村民が待っていることに気がついた。「アムチが来ていると聞いて駆け付けました。膝が痛いので診てくれませんか」。アムチ、つまり僕のことのようだ。なんでも、スタクモ村からアムチがいなくなって随分と経つという。病院があるレ―の街までははるか遠い。
ところが、「…のようだ」という語尾に象徴されるように、気分がすっかり風の講師モードになっているために、すぐにアムチとしての自覚が甦ってこない。そもそもチベット薬をもっていない自分にいったい何ができるというのか。そのとき、僕の戸惑いを察したツアー参加者のA医師がさっと屈んだ。「よかったら、私が診ましょうか」。優しい関西弁で膝のツボを押す先生。「他に困っていることはありませんか」さすがは毎日50人以上の患者を診察しているベテラン医師である。先生の優しい言葉に応じ、いまこそとばかりに症状を語るおばあさん。最後に「もし、機会があったら、こことここにお灸を据えてみてください。良くなりますよ」と先生が締めくくると「ジュレ―(ありがとう)」と最高の笑顔で僕たちを見送ってくれた。
自分を慰めるならば、普段、臨床の現場にいない僕に、A医師のようなアドリブができないのは仕方ないと思う。ただ、なぜ、あのときチベット薬を携帯していなかったのかと、強く後悔せずにはいられなかった。風の旅行社の講師であるまえに、僕はアムチであり、そもそも日本の薬剤師ではなかったか。そこで、今度、ラダックの村々を訪問するときは必ずチベット薬を携帯しようと心に誓ったのである。そして、その誓いはティンモスガンでさらに強められることになる。
3日後、12年ぶりに伝統的アムチ・タシの家を訪れた(第20話、第137話)。さっそく家の屋上にある診察室を見せてもらうことになったが、タシは気乗りしていない。それもそのはず。アムチである高齢の父親の足腰を考えて6年前に1階に新築され、それ以来、旧診察室は滅多に開けられることはなかったという。「ほこりっぽいだろうな」と不安げなタシの背中を押しつつ、僕たちの好奇心が扉を開けさせた。「おおー」とみんなの歓声があがる。伝統医学のタイムカプセルが開かれるような興奮に包まれた。治療器具や古い経典など、日本なら重要文化財に指定されそうな逸品ばかりが並び、ツアー参加者から何度もため息がもれる。そんな診察室の片隅に見覚えのある大きな薬袋がぶら下がっているのに気が付いた。
あれは12年前のこと。夜遅くにタシのお父さんが村の会合から帰ってきて腰ひもを外したとき、上着の中から腰巾着のようなものが落ちてきた。タシがすかさず拾い上げて僕に見せてくれた。
「我が家に代々受け継がれている薬袋だよ。父はどこへ行くときにもこの薬袋を手放すことはないんだ」。そういって渡された薬袋はずっしりと重い。なかの小袋の数は15ほどだろうか。つまり15種類のチベット薬は最低限、持ち歩き、いつなんどき患者から求められても応えられるように準備している。これがアムチの心構えか、と当時アムチの卵である僕は感心させられたものだった。でも、あのときの薬袋が旧診察室に眠っているということは、もう、遠くへ出かけないほど老いたことを意味しているのかもしれない。
千利休の和歌に「みわたせば、上手も下手もなかりけり、にえ湯たやさぬひとぞゆかしき(注1)」がある。茶道には上手いも下手もない。いつ不意の客人が訪れてももてなせるよう、常に煮え湯を絶やさない茶人こそが素晴らしい、という意味である。同じように、アムチに上手も下手もないとまでは達観できないけれど、「くすりたやさぬひとぞゆかしき」のごとく、常にチベット薬を携帯していることこそが「いいアムチ」の最低条件ではないだろうか。そして、自分はアムチだ、という心構えを忘れてはいけないのはいうまでもないこと。スタクモ村のおばあさん、今度は僕が真っ先に診察し、膝痛に効くレテ五味丸(第104話)を処方してあげますからね。
(注1)
たまたま雑誌の利休特集で目にしただけで、僕は茶道には詳しくありません。
(参考)
本エッセーの一部は、「風通信48号・伝統医学のそよ風」と重複しています。風通信もぜひ、御一読ください。
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