今週末、都心はすっかり人が減ったようですが、私の家の近くにある公園は、普段よりかなりの賑わいを見せていました。遊具はほとんどありませんが、400mトラックの内側も外側も広い芝生が広がる公園です。球技も禁止されておらず、普段はキャッチボールやサッカーなどが行われています。昨日の日曜日は、家族連れでボール遊びなどをして過ごしている人たちが多くて、3密にはなっていないものの、人と人の間隔は10mもないほど。かなりの密でした。
私は、4月に入ってからは、週末は家の片づけをずっとやっていますが、やはり外に出たくなります。昨日は、夕飯のおかずを買うときだけ外に出ましたが、運動を兼ねて自転車で少し遠くのスーパーへ行きました。ただ往復するだけでは大した運動にならないので、公園の周りを2周。これだけで5キロくらいはあります。公園の様子を外から眺めながら行ったというわけです。
吉祥寺のアーケード街も普段通りで大変な賑わいだと放映していました。スーパーも大賑わい。やっぱりソーシャル・ディスタンスは全然守られません。これでは緊急事態宣言の狙いはどうも実現しそうにありません。
第一次世界大戦の兵士の世界的移動で引き起こされたスペイン風邪は、港から鉄道で内陸部に伝播し、1918年パンデミックとなり2000万人から4000万人が死亡しています。日本でも大流行し約39万人の人たちが命を落としています。
1918年8月~1919年7月 感染者 2116万人、死者約25万人 致死率1.22%。
1919年8月~1920年7月 感染者 241万人、死者約12万人 致死率5.29%
1920年8月~1921年7月 感染者 22万人、死者約3600人 致死率1.65%
※内務省衛生局編『流行性感冒』による統計数値
1919年8月~1920年7月 感染者 241万人、死者約12万人 致死率5.29%
1920年8月~1921年7月 感染者 22万人、死者約3600人 致死率1.65%
※内務省衛生局編『流行性感冒』による統計数値
このパンデミックは、隠ぺいとそして油断でこのような惨状になったといわれています。100年たった今も、感染者の隔離、移動の制限、基本的にはなにも変わっていないそうです。甘くみたら100年前とおなじことが起きるということです。なんとか、この危機を乗り切りたい。願いはそれだけです。