この3月、芝田勝茂さんの風カルチャークラブの講座「地形と文学」で、池波正太郎の「剣客商売」の講義を興味深く聞くことができた。池波正太郎の小説は以前「鬼平犯科帳」を数冊読んだきりである。せっかくなので、この謹慎中に睡眠導入剤として剣客商売を読み始めたところ、全十六巻をほぼ二十日ほどで読み上げた。東京生まれの僕にとっては、懐かしい地名がたくさんでてくる。団子坂、菊坂、谷中、雑司ヶ谷の鬼子母神などなど、遊んだ懐かしい場所である。とにかくこの小説は痛快な時代劇であったが、少し寝不足気味になってしまった。この「剣客商売」は週に一度、BSフジで再放映されており、僕の好きな俳優が出演している。主人公の秋山小兵衛は藤田まことで、女武芸者の三冬は寺島しのぶが演じている。寺島しのぶの母親は藤純子である。彼女のヒット作「緋牡丹のお竜」のシリーズは欠かさず見に行った覚えがあり、僕は彼女の大フアンの一人であった。さて、続けて「鬼平犯科帳」の全巻に挑んでみようと思う。
*コロナウイルスの感染の拡大により生じた社会現象で、気になったことを学びなおしてみるために
・国内での感染者への差別や迫害、排除について。
網野善彦さんの「無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和」と赤坂憲雄さんの「排除の現象学」を読みなおしてみた。
網野さんはその本の第一章で「エンガチョ」という子供の遊びにふれている。僕の子どものころにもその遊びがあった。自らがその犠牲にさらされたり、また別の友人が犠牲になったりした多少陰湿な遊びだ。現在の感染者にたいする非感染者の一部が行う行為とそっくりであるが、遊びと違って、差別され迫害される人々は、これからどうなるのだろう。
網野さんはこの本で、歴史の表舞台に登場しない場(アジール)や人々のうちに、所有や支配とは別の関係原理の展開と衰微を跡づける、日本の歴史学を一変させた「もの」を書きつけている。
赤坂さんは、「排除の現象学」の序章の「さらば、寅次郎の青春」で、寅次郎という名のはみだし者をめぐる排除/歓待の物語を書き始める。さらに学校、浮浪者、現代の神隠譚、移植都市、分裂病、遅れてきたかぐや姫たち、失われたヒーロー伝説などを採りあげ、差別、迫害、排除の現象を掘り下げている。
この問題は、いつの時代に終息するのだろうか。
・欧米でのアジア系市民への差別や迫害、排除
橋川文三先生の「黄禍物語」
橋川文三先生の「黄禍物語」
テレビのニュースで見たのだが、欧米で東アジア系の人々が「コロナ」と呼ばれて迫害されたり、ヨーロッパでのサッカーの試合で時々アジア系の選手が相手のサポーターから、目を手で釣り上げるしぐさをされるなど、なぜいまだにモンゴロイドに対する差別や迫害がおこるのだろうか。そこで、再度「橋川文三先生の「黄禍物語」を読み直してみた。橋川先生はその本の「黄禍論前史」という章の中で「さて、黄禍とは何ぞとひらきなおるのもおかしいが、要するに黄色い人種が世界に禍をもたらすであろうという思想のことである」と述べ、その起源を紀元前四―五世紀(フン族の侵攻)のヨーロッパの歴史的体験にさかのぼらせるのが通常である、と書き始めている。
さてさて、この問題もいつになれば忘れ去られるのだろうか。
長い文章になってしまったが、昔に読んだ本を再読し、また新しい学びにつながったことが収穫であった。
そしてまた、静かで落ちつかない暮らしが続いていく。