今回もシルクロードから1枚の写真が送られてきました。
この写真はトルファンのアスターナ古墳群の前に立つ記念碑で、
上半身が人間で、下半身が蛇の2体がお互いに尾を絡めあわせている像です。
1体は手に「曲尺(かなじゃく=L字型の物差し、建築関係の道具)」を持ち、もう1体も、コンパスのようなものを持っています。
何かを設計したり、建築したりしようとしています。
よく見ると、尾の周辺には、いくつもの穴ぼこがあります。
そして拡大しないとわかりませんが、その下の方には太陽のようなデザインが彫り込まれているとのこと。
この像はアスターナ古墳の墓室から出土した中国創世神話の神様、伏羲・女媧(ふぎ・じょか)絵の2人(日本的には2柱?)をモデルに作られたそうです。
兄妹であり、夫婦であるとのこと。二人は人類を作り、文字や漁をするための網や武器なども作ったとか。そして、伏羲さんの故郷は天水(西安と蘭州の間の都市)。穴ぼこは星(星座?)をイメージしたもので、その星や太陽もこの二人によって作り出されたとされているそうです。不思議なことに、この絵はほとんど逆台形(上辺が長く、下辺が短い)の絹や麻に描かれていたそうです。何故なんでしょう?
実は、10月に同行した「西安から河西回廊」の旅で訪れた、嘉峪関の魏晋壁画墓(紀元3~5世紀ごろ)の博物館でも見たのですが、それは棺桶(おそらく内側)に描かれていました。
ここトルファンのアスターナ古墳で、この絵が描かれるようになったのは、麴氏高昌国時代(5~7世紀、玄奘さんが訪れた時期)。トルファンに漢民族の国ができた時期です。天水⇒嘉峪関⇒トルファン、漢民族の領土拡大とともに文化が西へ西へと伝播していったということでしょうか。
一方で、伏羲・女媧さんは洪水で生き残った二人で、その後、人類の祖先となったという伝説も有しているそうで、ミャオ族や雲南省にその伝説が伝播してるように聞きました。やはり、少数民族を南へ押しやりながら勢力を拡大していった軌跡が伝説に残されてるのでしょうか。また、どうして、伏羲・女媧の絵が墓室や棺桶に描かれるようになったんでしょうか?前出のZ氏は、アスタナ古墳の多くは夫婦合葬だったので、後世の子孫繁栄を願ってのことではないかと推理してましたが、果たして・・・。勝手な妄想が膨らんでいきます。詳しい先生のお話を聞いてみたいです。
ちなみに、この神様・伏羲女媧には姓があるそうで、苗字のある神様というのも妙な感じですが、その姓が「風」だとか。
その辺は、ちょっと親近感を感じてしまいました。
トルファンのアスターナ古墳を訪れるコース
悠久のシルクロード大走破【第2弾】
トルファン・クチャ・カシュガル・ホータン