狩猟民族らしい勇ましい舞(芭沙村・ミャオ族)
貴州は日本人のふるさと?
中国南西部、貴州省はミャオ族、スイ族、トン族などの少数民族が数多く暮らす地域です。稲作文化、木造建築、山がちな地形と雨の多い気候、美しい棚田だけでなく、食習慣や人々の表情まで日本とよく似た特徴を持っています。
西江のミャオ族の盛装
ミャオ族
中国では貴州・雲南を中心に分布。約900万人。伝説では5,000年近く前から登場しますが、漢代以降、中原から漢民族に追われ中国西南部へ移住してきたといわれています。さらに、明・清時代の圧政の下、一部は、ベトナム、ラオスへ移り住みました(ベトナム、ラオスではモン族と呼ばれる)。
銀細工やろうけつ染め、刺繍などに長け、特に祭りのときに身に着ける女性の民族衣装はカラフルで地域ごとに特徴があることで知られています。納豆、もち米、味噌、しょうゆ、なれ寿司、歌垣、鵜飼などの共通点も多く、貴州民族学の草分け的存在である明治の人類学者・年鳥居龍蔵も同祖説を唱えています。
また、映画「ルーツ」が流行したころ(70代末)には、「日本人のルーツ探し」の対象としても注目を浴びました。
芭沙(バーシャ)村
狩猟の民
子供たちはどこでも愛らしい
従江から8キロほどのところにあるミャオ族の村。人口は約2,000人。清代の狩猟部族の風俗が残っている村です。男は頭の上にまげを結い、火縄銃を肩に、腰には匕首(あいくち)を下げています。村には老木が茂り、村人は樹木を神と崇め祀っています。卵白で光沢を持つ衣服も特徴のひとつ。
※村名の「芭」は正しくは巴にやまがんむり。
その他のミャオ族についての記事は
花嫁の来た道 −貴州・西江村〜開覚村のショート・ハイキング−
スイ族の村にて
スイ族
貴州省を中心に約40万人が暮らすタイ語系民族。自らを「水辺に住む人」と呼び、稲作を中心に暮らしています。スイ書と呼ばれる独自の象形文字を持っています。が、用途は祭祀目的に限られ、それゆえに読める者も各村に一人程度とか。祭りで使われるドラ(銅鼓)や、馬の尻尾を編みこんだ細かい刺繍が特徴。青色系の衣装が多いのですが、年をとると黒っぽい衣装を着るようです。その刺繍は鳳凰の羽根のように美しいといわれています。
スイ族も銅鑼の文化
トン族のふるまい酒(程陽)
トン族
貴州を中心に中国に約300万人が暮らすタイ語系民族。歌垣などの伝統文化を有し、歌に長けています。宗教的には、祈祷師がいたり、サーマという祖先の霊を祀るほか、中国文化にも多く影響を受けています。木造建築の技術も高く、4階建ての木造家屋、五重塔にも似た鼓楼と呼ばれる塔や、風雨橋(豪華な装飾を施した屋根つきの橋)など、小さな村にも立派な均整の取れた美しい建築物があることに驚かされます。
※鼓楼とは、その名の通り太鼓を吊るした木造の建物。もともと集会場を兼ねていて、村の大事はここに村人が集まり相談していました。
肇興(ザオシン)村
メインストリートの一筋裏には川が流れている
鼓楼の下で
トン族の象徴である鼓楼と風雨橋が5つもあるトン族最大の村です。今も鼓楼の下で子供たちが遊び回ったり、橋に腰掛けて世間話に興じるおばあさんの姿をよく見かけます。村中を流れる川のほとりからは、トントン、トントン、どこからともなく木槌の音。音の主をたどってみると、家の軒先で藍で染めた布を生地を固めるための作業中。川では、染めた布を水洗いする女性の姿も。また、夜、まだ街灯も少ない街を散策するのもいいでしょう。月明かりのもと鼓楼を見上げれば一瞬数百年の時をタイムスリップできるかもしれません。
程陽(チャンヤン)村
生活の中に生きている風雨橋
秋の収穫の後の程陽の村
広西チワン族自治区に属するトン族の住む村です。程陽橋という立派な風雨橋が有名で、通常のツアーではこの橋を見てすぐに引き返してしまうのですが、実はこの裏にトン族の大きな村が広がっており、その民宿に1泊し、この村をのんびり散策するこができます。トン族家庭料理をご賞味頂き過ごす静かな村での一夜は、きっと思い出深いものになることでしょう。
その他のトン族についての記事は
女性の背中には刺繍が施されている
ヤオ族
広西チワン族自治区を中心に雲南や貴州南部にも暮らしています。雲南省にいるヤオ族とは民族衣装などの特徴がかなり違います。伝説では王女と犬の間に生まれた六男六女を祖先に持つそうです。日本の沖縄にも似た伝説があったり、遠く「南総里見八犬伝」創作のヒントにもなったという説もある、日本につながりの深い民族のひとつです。