いよいよ4月から民俗学者の赤坂憲雄先生のオンライン講座「遠野物語を読む」が始まります。全12回、毎月一回の講座ですので、一年かけての長丁場になりますが、今からわくわくしています。ちょうど15年前(2010年)になりますが、赤坂先生から声をかけられ遠野市で行われた「遠野物語」発刊100周年オープニングイベントに参加しました。赤坂先生と三浦佑之さんの対談や鼓童の太鼓の演奏などがあり、かなりにぎやかなイベントでした。その時に購入した先生の著書「増補版・遠野/物語考 荒蝦夷」の序章を少し紹介したいと思います。
まず序章の始まりの“『遠野物語』はいま”で「『遠野物語』はとても不思議な書物です。刊行は明治43年、つまり1910年の6月。たった三百五十部の自費出版でした。その小さな本が百年の歳月のなかでどのように読み継がれ、どのように評価されてきたのか。わずか百年です。にもかかわらず日本の近代が生んだ書物のなかで、これほど古風に古典の顔をした書物はないかもしれません。『遠野物語』がこうして読み継がれることなど、それを刊行した柳田国男自身、およそ予期しえなかった出来事なのではないかと思います。」と。
そして『遠野物語』なしには、おそらく年間数十万人の観光客が訪れる遠野の姿はなかっただろうと、とも述べています。
続けて、“『遠野物語』と故郷喪失の時代”では、「…刊行前夜の時代背景について、…明治43年は、日本が韓国を併合し、…幸徳秋水らが…を企てたとされる大逆事件が起こり、社会主義者・無政府主義者らにたいする思想弾圧が本格的に始まったのも、同じ明治43年でした。司馬遼太郎さんが小説『坂の上の雲』で描いた、のびやかな明るいナショナリズムがねじ曲げられてゆく時代の分かれ道に、『遠野物語』はひっそりと投げ出されたのです。」と。
続けて「けれどもそれ以上にわたしにとって大切なことがあります。それは、故郷が失われてゆくなかで故郷が逆説的に発見されたのが、この時代だったということです。……明治30年代から40年代にかけて行われた市町村合併によって、七万を超えていた集落や部落、古くからの自然村的なものを留めたムラが、一万六千ほどの行政単位にまとめられていきます。…平成の大合併を経て、いまは千八百程度になっているかと思います。…どうやら小さな地域の文化が消滅の危機にさらされています。」と危機意識を述べています。
続けて“南方熊楠と神社合祀反対運動”、“故郷を捨てた男たちの歌(尋常小学唱歌「故郷」)”、“『遠野物語』と怪談の時代”、“『遠野物語』の混沌”、“「感じたるままをかきたり」ということ”、“聞き書きとはなにか”では宮本常一の「土佐源氏」と石牟礼道子さんの「苦界浄土」に触れて、“『遠野物語』と「日本昔話」のあいだ”、“それは民俗学誕生の記念碑か”、“文学としての『遠野物語』”、“三島由紀夫と『遠野物語』”、そして最後の“『遠野物語』の新たな読みへ”では「……百歳の節目の年ゆえに、『遠野物語』を新たに読み解く試みが求められている、と感じています。」と締めくくり、本文に入っていきます。
ほとんど序章の引用だけなってしまいましたが、発刊から十五年がたちました。赤坂先生はどのように読み解きどのように語るのか、とても興味深い講座です。
さて、風カルチャークラブの講師やチベットでも長い期間、風の旅行社の駐在をしてくださり現在、駿河台大学で教鞭をとる村上大輔さんの『遠野物語』に関する論文が間もなく公開されます。タイトルは「民俗学のフロイディアン・メソドロジー ~『遠野物語』の人類学~」(出典・駿河台大学 『論叢』 第68号 令和7年(2025)2月 発行)です。公開後にまた詳しくご紹介します。
『遠野物語』発刊の年、遠野から約50km離れた花巻で生まれ育ち、旧制盛岡中学で学んでいた宮沢賢治は、数え年で15歳になっていました。