いちごの思い出

3月になり、少しずつ暖かい日が増えてきました。春を感じる果物といえば、やはりいちご。最近は品種が豊富になり、スーパーの店頭にも様々な大粒のいちごが並んでいます。以前、風の旅行社のスタッフで1泊2日の旅行に出かけた際、2日目にいちご狩りを楽しみました。久しぶりのいちご狩りは、昔とはずいぶん様変わりしていました。私が子供の頃は露地(屋外)栽培が主流で、土に植えられたいちごをしゃがんで摘むスタイル。いちごも今よりもっと小粒で酸っぱかったです。また、食べ放題が一般的で、お腹いっぱいになるまで食べた記憶があります。最近では、腰の高さで育てる方法が普及し、しゃがまずに摘めるため快適です。さらに、練乳をつけて食べることもできるなど、昔とは違った楽しみ方が増えていました。

そんないちごを見るたびに、私は母の文章を思い出します。母は、弟が通っていた幼稚園の保護者会会長をしており、園の行事に積極的に参加していました。その中で「いちご狩り」に参加した報告として、保護者向けの冊子に文章を寄せていたのです。その文章には以下のような内容でした。

「子供たちは、いちご狩りを楽しんでいました。たくさんのいちごを抱える子が多い一方で、ある子の袋にはいちごが1つだけしか入っていませんでした。私は『どうして1つだけなの? たくさん採っていいのよ?』と尋ねました。すると、その子は『たくさんのいちごを見た中で、これが一番きれいだったから、これだけでいい』と答えたのです。その時、大人の視点だけで物事を捉えてはいけないと感じました。子供には子供なりの考えがあり、それを尊重することが大切なのだと。」

20代の頃、実家で探し物をしていたとき、タンスの奥から冊子を偶然見つけ、私はこの文章を読み、「おかん(お母さん)、やるやん!」と、とても感心しちょっと誇らしい気分になったのです。

時が経ち、すっかりいい大人となった私は、母に「あの文章、よかったやん」と伝えました。そしたら母は「そんな文章書いたかな? たくさん持って帰ったほうが、家族みんなで食べられるからいいやんな」とあっさり返答。人の感じ方や価値観は、時間とともに変わるものなのだなと、なんだか違った意味で甘酸っぱい気持ちになりました。

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