和食普及率を上げたいと、卒業論文を書いた学生がいる。和食が無形世界遺産になり、注目度が上がっているからだろう。
ところで、この場合、和食とは何を指すのだろうか。「ハンバーグは和食でしょうか?」昨日の卒論発表会では、そんな質問が出た。それくらい和食と洋食の区別は曖昧である。そこで、論文の筆者は、世界遺産の登録に倣って「米飯と一汁三菜」を和食の基本と定義した。
私は、和食の再評価には賛同するし、この頃は好んで食べる。しかし、「米飯と一汁三菜」といわれると、小学校の低学年までの我が家の“貧しい”食事を思い出してしまう。ウド、ほうれん草、ささげ、野蒜、ジャガイモ、カボチャなど、その時々の野菜のおひたしや、胡麻和え、煮物などが主菜であって、魚が夕食にのぼるのは週に一度あるかないかだった。まして肉など滅多にお目にかかれなかった。
だから、家では食べたこともない献立が並ぶ給食は、私にとっては御馳走だった。そんな経験をNEPAL KAZE TRAVELの代表のプリスビーと話していたら、私も肉は滅多に食べられませんでしたと共感してくれたことがある。
小学校の高学年になって焼き肉を月に一度くらいはできるようになると、私の親父が「こんな生活ができるようになるとは思わなかったなあ」と、しみじみ言っていたことを思い出す。そのころは、肉料理や洋食は、豊かさの象徴だったのだ。悲しいかな、その感覚がどうしてもぬけない。
しかし、今、大学生が和食の価値に注目し、その栄養バランスの素晴らしさと、自然を尊重する心を大切にする伝統的な和食文化の普及率を上げたいと言ってくれるのはとてもうれしい。
問題は、実践である。和食に限らず食事を作るのは手間がかかる。まして共働きならなおさら手間を省きたくなる。和食云々の前に、どんな食事であれ自炊すること自体が危ぶまれる。冷凍食品やインスタントも上手く取り入れ、時には外食も楽しみながらも、自分で料理を作ることを大切にしてほしいと思う。