震災から10年

津波に飲み込まれる家々や車の映像をテレビで見ながら、「人は、まさかあの中にいないだろうな?」と思ったこと。原発の建屋が爆発する映像を見て、「まずい。東京に住めなくなる!?」と感じ冷汗を拭い、子供たちを信州の田舎に“疎開”させたこと。今も苦々しく思い出す。まずは、この紙面を借りて、震災でお亡くなりになった方々、避難先等で関連死と認定された方々すべてのご冥福をお祈りします。

私自身、チェルノブイリもスリーマイル島の事故についても何冊か本は読んでいたし、原発の危険性は理解していたつもりだったが、科学技術の発展でもう安全になったのだろう、と3.11まではなんとなく思っていた。強く思ったわけではない。なんとなくである。つまるところ、原発の危険性を深刻に考えることを忘れてしまったというのが実際だ。しかも、3.11前には、原発は地球温暖化を止める脱炭素の旗手であり、クリーンエネルギーとしてむしろ評価していたのだ。実に情けないが、科学立国日本への妄信と日本は安全への意識は高いはずという思い込みに過ぎなかったと反省した。

だから、3.11は、突然ハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。人間がすることに絶対に安全などということはあり得ない。むしろ、失敗することを前提にすべてを考えなくてはならない。文明、とりわけ科学技術がどんなに発展しようが、人類は自然の脅威の前には謙虚であらねばならないことを嫌というほど思い知らされた。

あれから10年。今はどうだろうか。菅政権は脱炭素社会への脱皮を目標に掲げ動き出したが、またぞろ、原発がクリーンエネルギーとして頭をもたげるなら、同じ過ちを子々孫々に先送りすることになる。

そんな中、昨年の11月、あの女川で原発の再稼働を地元自治体の組長たちが認めた。震災後人口が減り、地元経済活性化のためには仕方がないというのが理由だが、いくら安全基準を厳しくして「今度はちゃんとやります」といわれても、不安な住民の方々も大勢いらっしゃるだろう。生きていくためには、危険も覚悟で受け入れるしかないというのが地元の方々の思いだろうが、原発がある地元ばかりに犠牲を強いていいとは到底いえない。

こうした事態を解決する方法が一つだけある。それは、国が脱原発に方針を転換することだ。もちろんすぐにはできない。30年かかってもいい。廃炉まで考えると何十年もかかるだろう。それでも、安全な環境を子々孫々に残せるならその方がいい。欧州では既にいくつかの国が脱原発を打ちだしている。日本にできないはずはない。今回のコロナ対応でもそうだが、後手後手の結果後追いではなく、明確なビジョンを示してほしい。

実は、私はもう一つ、変化の可能性を期待している。原発に代わる新しいエネルギー創造の動きが加速すれば流れは大きく変わるはずだ。それが水素エネルギーだ。水素ステーションが世界中にできて、車のみならず様々なものに完全循環型の再生エネルギーが使われるようになったら夢のようだ。否、もはや夢想とばかりはいえない。未曽有の原発事故から10年たった今、是非、それを応援したい。もちろん、水素エネルギーへの妄信はよくない。注目して勉強しようと思う。

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