先週、業界団体で一緒に仕事をしたAさんが亡くなられた。2017年に食道ガンの手術をされ、術後は元気になられたかに思えたが、2021年に再発され、その後はかなりきつかったようだ。年齢が私と同じだったので親近感はあったが、個人的なお付き合いはなかった。銀行出身の大変まじめな経営者で、石橋を叩いてなお渡らないような印象を受けた。一回だけゴルフをご一緒したが、そんな印象とは大分違っていて、力みに力んで“飛ばすぞ!”という意外なプレイスタイルだったのが妙に印象深い。
再発の時と、昨年末に2度、LINEで様子を知らせてくださった。再発の折には奥様とのご旅行を計画されていたようだが、体調が急に悪くなりできなかったことや、食べられないので点滴だよりで痩せてしまったこと、子供が所帯を持って独立したので安心して治療に専念できることなど、LINEにしては少し長い文が送られてきた。「ネパール語で“ゆっくり、ゆっくり”を“ビスタリ、ビスタリ”といいます。治療は辛いでしょうが、ビスタリ、ビスタリとやってください」とご返事した。
年末は、忙しくても人間ドックに行くようにと諭されてしまった。ステージ4で化学療法だのみだが、抗がん剤で体力が回復したら治療を開始する。薬の力に期待したい。と書かれてあった。大変、明快で無駄のないすっきりした文章に希望と悟りの両面を感じた。
同い年の私がいうのも変だが、66歳は、まだ若い。コロナ禍で社長を交代できたのだから羨ましくもあるが、やり残したことも沢山あったに違いない。今は、ガンだろうが何だろうが告知される。私も、胸がぜいぜいするので診察を受けに行ったら、いきなりCTを撮るといわれ、30分後には画面を見ながら医者の説明を聞いたことがある。もし何か見つかったらどうなるのだろうか。幸い何もなかったが、“ここに腫瘍がありますね”。などと覚悟もないのにいわれたら愕然とするに違いない。
果たして、Aさんのように落ち着いてメールができるだろうか。何があっても動じない心境になるまでには、もう暫く時間がかかるように思うが、一生無理かもしれないとも思う。じたばたするのが人間というものだ。Aさんとてもっと親しい方には愚痴もこぼされていたかもしれない。むしろ、それが自然だ。
兎にも角にも、長年ご苦労様でした。ご冥福をお祈りします。