コーランについて諸々の書物をかじってみると、イスラーム教について全く無知であることに改めて気づかされる。例えば、ラマダンが何故、毎年違うのか。しかも、中国の春節やモンゴルのツァガンサルが1か月ほどの範囲で動くだけなのに年々ずれていく。原因は、イスラーム世界では、ヒジュラ暦(太陰暦)を使っているからだが、これでは季節と月が合致しなくなり農業には不都合極まりない。そこで、並行してグレゴリオ暦(太陽暦)を使っているという。
何故、イスラーム世界ではこんな不便なヒジュラ暦を使うのか。その理由は、コーランに「天地創造の日、神の啓典に定められたところによって月の数は十二であり、そのうち四ヶ月は神聖月である」と定められており、預言者ムハンマドが「純粋な太陰暦を使わなければ過ちを招く」という趣旨のことばを述べた記録があるからだという。
ところでヒジュラとは何か。イスラーム教を創始したムハンマドが622年にメッカからメディナへ聖遷したが、これをヒジュラと称しヒジュラ暦元年とした。ムハンマドは、40歳の時、神から最初の啓示を受け、613年からこれらの啓示を公に説き始めたが、アラビア人伝統の多神教を信奉するメッカの人たちから激しい迫害を受けた。一方、メディナの住民からはアラブ部族間の調停者として招かれヒジュラとなったという。
イスラーム教の肝ともいえる五行(5つの義務)とは何か。私が説明するのもおこがましいが以下の通りである。
- 信仰告白は、ムスリムとしての最小限度の信条として「アッラーのほかに神はない、ムハンマドはその使徒である」を告白すること。
- 礼拝は、神の唯一性を体で表すことで、定まった動作を通じ、神と向き合うことである。夜明け前、正午少しすぎた頃、午後、日没後、夜の5回行われる。礼拝の行われる場所をモスクと言い金曜日には集団礼拝をする。
- 喜捨は、貧しい人や旅人に自分の財を与えることで、どん欲に打ち勝ち身を浄める行為とされる。
- 断食は、ヒジュラ暦第9月のラマダン月に、病人、旅人、子供などをのぞき、日の出から日没まで一切の飲食を断ち、禁欲することが義務とされる。断食明けには祭りになる。
- 巡礼は、ヒジュラ暦第12月に行われる、メッカのカーバ神殿、さらにメディナのムハンマドの墓へお参りすることで、少なくとも一生に一度は義務とされる。
(『世界史の窓』webより抜粋)
イスラーム世界では、シャリーア(コーランなどに示された信仰規則に従う)が国家統治の原則である。政教分離を原則とする近代の国家感からすると異質である。ジハードの負の部分ばかりが強調され、イスラ―ムの世界への忌避が見え隠れする。何故、一神教は世界宗教となり多神教とどこが違うのか。疑問は尽きない。
私たちの仕事は、異文化を理解し相互に尊重する姿勢を持たないと成立しない。コロナ禍で様々なことを考える中、イスラームの世界に限らず全ての事柄に関して基礎知識が足りないと猛省している。最後の審判の瞬間を思い描くムスリムと、浄土についても考えたことすらない私とでは比較の仕様がないが、それでも少しでも理解ができるよう努めたいと思う。