1988年、昭和も終わろうという年の瀬に、ゴレパニトレッキングに出掛けた。私にとっては初めてのネパール。しかもは初海外旅行。飛行機の乗り方も何もかも解らないまま、先代の弊社オーナー・比田井博(故人)に誘われ連れていかれた。タイのドミトリーに1泊し、翌日の昼過ぎにタイ航空でカトマンズ入り。飛行機の窓から雲の上に長く連なるヒマラヤを見て感動。ゴレパニから早朝、プーンヒルに登って見たアンナプルナの大きさにも圧倒された。とにかくヒマラヤは「デカい」これが私の第一印象である。そして美しい。ガンドルンから谷を越えてランドルンへ入るとアンナプルナサウスを背に平らな道がしばらく続く。快晴の青空に聳えるヒマラヤの美しさを今でも忘れない。
あれから35年が過ぎた。当時のネパールはビレンドラ国王の絶対王政が続いていたが、トレッキングをしてカトマンズとポカラをぶらついただけの私には、目の前のネパール人がどんな状況におかれていたのか知る由もなかった。改めて、長年、仕事のフィールドにしてきたネパールを自分なりに捉え直してみたいと思う。
カトマンズ市内観光やパタン、バクタプルの観光でガイドの解説に必ず登場するのがマッラ王朝である。8世紀にリッチャビ王朝に変わって成立し15世紀に分裂するまでカトマンズ盆地を統一支配した。否、9世紀にディーヴァ朝が興ってバクタプルに王都を開いた後、14世紀にマッラ朝が確立されたという記述もあるし、1,200年にアリ・マッラ1世によって創始されたという記述もある。何故、こんなに諸説あるのか解らないが、15世紀半ばにはバクタプル・マッラ朝からカトマンズ・マッラ朝が独立、17世紀前半にカトマンズ・マッラ朝からパタン・マッラ朝が独立し、3王国並立時代が成立したことは確かである。
3王国並立時代は1769年にシャハ王朝(ゴルカ王朝)が成立するまで続き、3国が競い合って寺院の建設などにあたったと観光の折にガイドがこれまた必ず解説する。この時代の遺産を私たちは観光素材として使わせていただいているというわけだ。文化が栄えたということは平和な時代だったともいえる。
シャハ王朝は、カトマンズの支配を主としたマッラ王朝とは違いネパール全土を支配していく。ところが、1790年~1791年にチベットに侵攻、清国がチベットを支援しネパールは敗北。清の朝貢国家となり1908年まで冊封体制に組み込まれてしまった。1814年~1816年にはイギリス(東インド会社)と戦いこれまた敗北。イギリスの保護国となり1923年に独立するまで続いた。清の冊封体制に組み込まれかつイギリスの保護国という状態が日本の明治から大正期の頃まで100年近くも続いていたのである。しかも、1846年宮廷内虐殺事件を機にジャンガ・バハドゥル・ラナが宰相に就き、以後、シャハ王家はラナ家の傀儡となり、ラナ家の独裁が第二次世界大戦後の1951年まで続く。
日本でいうなら、藤原摂関家の支配が、1951年まで続いていたと思えばいいのかもしれない。戦後に王政復古し絶対王政に戻ったが、そこから一挙に王制廃止、共和制樹立まで行く。いやはや、すごい歴史である。