中野再開発

中野の街に、再開発の波が押し寄せている。10年ほど前に、中野駅の西側、中野駅から見て、駅前北口に聳え立つ中野サンプラザの左側100mほどのところに、「中野四季の都市(まち)」が開発された。その敷地内に、商業ビルとして中野セントラルパークサウスとイーストの2棟ができた。それまでは、中央線沿線の住宅街であり、丸井を除いて大きな企業など殆どなかったが、セントラルパークにキリンビールや栗田工業の本社が移転してきたことで大きな話題となった。「中野四季の都市(まち)」などとは誰も呼ばない。呼称は中野セントラルパークである。サッカー場のような広々とした芝生が拡がり、コロナ以前は、仕事帰りにみんなで芝生に車座になり語り合うこともできた。

そもそも、中野の地は、古くは徳川綱吉の生類憐みの令で「お囲い(犬小屋)」が設けられ、今の中野駅周辺・約30万坪(約100ha)に数万から30万頭の犬が養育されたそうだ。今回開発される囲町西地区とはその名残である。コロナで弊社は、通りを挟んで向かいのビルに昨年移転したが、明け渡したIFOビル6階には、この囲町西地区開発の事務局が入っている。

中野のこの地には、1938年、日中戦争が勃発して間もない時期に陸軍中野学校ができている。この中野学校は、防諜、宣伝など機密戦に関する教育訓練が行われ、その存在すら秘密にされたという。偽装用の通称号は東部第33部隊。戦後、その用地に警察大学校・警視庁警察学校ができた。2011年に同校が府中に移転したため「中野四季の都市(まち)」開発が実現したという訳だ。知れば知るほど、色濃く歴史の影が射す。

今回の開発は、「中野四季の都市(まち)」の南側で中央線の線路との間に、住宅棟2棟と、商業ビルを建てる。それに加えて、市役所も弊社の斜め向かいの中野体育館跡地に引っ越し、中野サンプラザも複合施設として建て替えられる。駅を挟んで反対の南口でも高層マンションとオフィスビルを建てる中野2丁目再開発が進行している。中野駅も、西口新設工事が進行中である。まさに開発ラッシュといえよう。

新宿に近すぎて大企業もない「忘れられた街」だと、最初に中野で事務所を構えたとき銀行に言われた。弊社はここに32年もいるが、ずっと静かで下町のような住みやすさがあった。開発ラッシュで失う思い出が多すぎて寂しくもあるが、次世代を担う若い人たちに人気の新しい中野が生まれると思い口をつぐむしかあるまい。「新中野サンプラザ(正式名称未定?)」は2025年完成を目指しているという。今の中野サンプラザは、7月2日(日)に閉館する。後1か月余り。もう見納めである。

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