鈍感になる

どうも尋常性白斑という皮膚の病気になったようだ。先々週皮膚科に行ったら「とりあえずこれを塗って様子を見ましょう」。とロコイドというステロイド剤を渡された。次男が、子供のころアトピーがひどかったときに使っていたから覚えている。白いチューブに濃い紫色のチューブキャップの薬だ。

一年ほど前から顔の一部が擦り剥けたように赤くなり元へ戻らない。髪の毛の生え際は白く脱色している。そうはいっても、黒子くらいの大きさだったから目立たなかったが、先日日焼け止めクリームを塗り忘れて日に焼けたら、左こめかみの部分が赤くなり目立つようになった。日焼けは禁物である。

治療薬はなく治療方法は皮膚移植だそうだ。病院で「広がりますか?」と聞いてみたら、「そう、徐々に広がります」。とあっさりと回答が返ってきた。もう少し希望のある言い方はできないものかと思ったが、私の年齢を考えれば気を使う必要もなかろう。痛くもないし痒くもない。鏡を見ない限り自分では分からない。もう、この年になったから皮膚移植などする気もない。日焼けしないように気を付けるくらいで、後は自然に任せるしかなさそうだ。

品川区の戸越公園で鞄屋を営んでいた父の従弟が、高齢になってからやはり尋常性白斑になった。もう15年ほど前になるが、久々に会ったとき白斑が一面に広がった顔を見て目線のやり場に困ったことを覚えている。医者の言に「そうか、ああなるのか」と少々ガックリしたが仕方がない。

電車の中で、アトピーで顔が赤くはれて如何にも痒そうな表情をしている人を、しばしば見かけ辛そうだなあと同情する。火傷で顔がケロイド状になった人にも出会ったこともあるが、やはり目線のやり場に困ってしまう。しかし、所詮は他人事。多少なりとも自分事にならないと、そういう人たちの気持ちは解らない。

そもそも同情なんて当人からしたら失礼な言い方だ。“尋常性白斑ぐらいで大袈裟なことを言うな”と怒られそうだが、100~200人に1人は患者がいるそうだから、全国に120万人~60万人もいる勘定になる。その割には、あまり見かけない。何故だろう。人がどう見ようが平気だと、自分を鼓舞し気丈に努めても、周りの視線がやはり気になるに違いない。慣れの問題もあるのだろうが、次第に人に会うことを避けるようになるのではなかろうか。若い人ならなおさらだ。

まだ、最終的な診断が下ったわけではないが、白斑の6割が尋常性白斑だそうだから、九分九厘間違いはなかろう。3年前に脊柱管狭窄症の手術をし、何とか生活ができるようになったが、長時間は歩けないし重い荷物も担げないから、好きな山登りもできない。他にも諦めなきゃならないことがあれこれ増えた。それでも、体は動かせと言われる。ストレッチを楽しくやれたらいいが、正直、全く楽しくはない。

“今度は白斑か。やれやれ”とは思うが、人の気持ちとは不思議なものだ。最初はあれこれ考える。しかし、そういうことにも次第に慣れてきて鈍感になる。諦めとは少し違う。適度な鈍感さである。これを持つことが元気に生きる秘訣かもしれない。生きている間は年齢と共に更にあれこれ起きてくるに違いない。益々鈍感になって何でも受け入れていこうと思う。

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