急に秋らしくなった。気象庁の1か月予測によれば10月の気温は高め、11月は平年並み。ということは、秋は1か月程度ということになる。冬が直ぐにやってくる。来週13日からモンゴルへ出張し、25日から30日までは大阪で開かれる「ツーリズムEXPOジャパン2023」へ行くから、残念だが、秋を楽しむ時間は取れそうにない。
秋は、小学生の頃から好きだった。南信州は盆を過ぎると涼しくなった。10月には樹々がすっかり色づき、田圃には稲架掛けの列が幾つも並び、農家の軒先には橙色をした干し柿の暖簾が幾筋も掛かった。田舎の学校だから校舎を一歩出れば田圃や畑が広がる。小学生の頃から教室を出て秋を切り取る写生の授業がしばしばあった。大抵は、仲のいい友達と田圃の土手や神社などに陣取ってあれこれしゃべりながら筆を動かす。私は、写生の時間は1人になることが多かった。別に、他人に邪魔されたくなかったわけではない。絵は苦手で、観たままに筆を自由に動かせば、浮き出るような“良い絵”が描ける同級生が羨ましかった。孤独が好きというわけでもなく、なんとなく、秋は1人の方が性に合った。
秋には毎年、市の動物園主催の写生大会があった。両親は、小学4年年になると1人で行かせてくれた。4つ切りの画用紙の四隅を画板に鋲で止め、画板の対角に括りつけた麻の紐を左肩から斜に掛け、右肩からは絵具道具一式と水筒を画板の紐と交差するように斜に掛け、おにぎりが入ったリュックサックを背負って、4kmほどの道を歩いて動物園へ行った。朝早く家を出るから秋でも寒い。外に出た瞬間、全身がブルッと震えた。
田舎の小さな動物園だが、奥の方にライオンが1頭だけいた。右目の上の傷跡が勇猛だった頃の残影を残していたが、私が動物園に行くようになってからは、寝てばかりいて勇猛な姿などついぞ見たことがない。元来、ライオンは夜行性だから昼間は寝ていて当然だが、私には単に老いているとしか映らなかった。檻から漂うむっと鼻を衝く獣臭が“老ライオン”という印象を一層濃くしていた。だから、子供たちの写生の対象には到底ならずライオンの檻の前は、何時も閑散としたままだった。
写生大会から帰った日の夜、一度だけ、このライオンの夢を見た。たてがみを堂々となびかせ、前脚を反り返るようにすっと伸ばして前方を仰ぎ見て立つ姿は、右目の上の傷跡がなければあの老ライオンなどとは分からなかっただろう。“なんでお前はこんな片田舎の動物園なんかに来てしまったんだい?” そう尋ねたが返事はなかった。きっとどこかでドジを踏んで捕らわれの身となり、船に載せられて日本へやって来たのだろう。なんと酷くて悲しい一生かと同情したが、そのまま夢は消えてしまった。
今から数年前に、あの動物園を訪ねる機会があった。私は、真っ先にあの老ライオンの檻に駆けたが、ライオンの檻はなくなっていた。その晩、またあの老ライオンが夢に現れた。“おい、元気だったか”と声を掛けたが返事はなかった。確かに右目の上にあの傷跡があった。老ライオンは、じっと私を見て静かにうつむいた。何か言いたそうだったが、そのまま姿を消してしまった。思わず、“よく、頑張ったな”と声を掛けてやりたくなった。