自分の教科書

あのお地蔵さんは、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ」。クシティは大地、ガルバは胎内・子宮という意味だ。とすると蔵とは、生命の生まれるところとなる。辻々にあるお地蔵さんが、世界を大きく包み込むようなそんな大きな意味があるとは誰しも思わないに違いない。地蔵は菩薩であり、菩薩とは「悟りを求める人」で仏の次の位にあって、菩薩衆生を救うために多くの修業を重ねる者である。仏教は、奥が深い。

先週、H氏の講演でこの地蔵の話と、「自分の教科書を作る」という話をお聴きした。他人の話も世の中の減少も多くはノイズである。そのノイズの中からシグナルを聴き、そして見分ける。そのシグナルをメモに取る。溜まったメモを繋げて星座にする。すなわちノートにまとめる。

星座とは集中・濃縮を意味する。レオナルド・ダヴィンチは、学校に行かなかったが、シグナルを膨大なメモにして自分の教科書を作り天才となった。民族学者の梅棹忠夫は「発見の手帳」で自分の星座を作った。

一方、私はメモも取らなければ、普段の気づきも殆どない。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られそうである。H氏は「スマホで調べて分かったような気になって終わり。困ったらまた調べればいい。だから覚えないし考えない。皆さんもそんな風じゃあありませんか?」と手厳しい。その通りである。

最近、本を読んでも、吸収されることなくすぐに忘れてしまうので虚しさを覚えていた。毎日、情報は山ほど入ってくるが、蓄積されることなく流れ去っていく。半ば年齢の所為にして慰めてきたが、どうも違うらしい。自分の教科書を作っていないからだ、とH氏の話を聞いていて判った。どんなつまらないことでもいい。ガラクタでいい。自分で見て考えてそれをメモやスケッチにする。

以前から、A5判のノートを持っているが、これではメモ帳としては大きすぎる。そこでもっと小さなメモ帳を買った。メモを繰り返し見直して考え、ノートにまとめる。本も、最近はKindleのハイライト機能を使うようになった。いつでも一覧でハイライト部分だけを読み返せるからだ。スマホも調べっぱなしにしないで、自分のノートに落とし込めばいい。

これはいい。メモとノート、すなわちシグナルと星座を繰り返せばこの年齢になっても知識も広がるし、深まってもいきそうだ。こんな面白い“遊び方”を教えてくれたH氏に感謝しなくては!

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