印象派の衝撃

東京富士美術館で、2024年7月6日(土)~2024年9月29日(日)まで「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」が開かれている。4月7日(日)までは、東京都美術館でやっていたものだ。八王子のインターチェンジの側で割と私の家から近いので、先日、車で観に行った。アメリカの印象派など全く知らなかったので、チャイルド・ハッサムやデウィット・パーシャル等の絵を始めて観た。印象派の影響は全世界に及んだというが、その衝撃のもの凄さが伝わってきた。

今年は、1874年4月に開かれた第1回印象派展から150周年を迎える。もちろん印象派展などと銘打ったわけではない。「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」が正式名称である。モネが出品した「印象、日の出」から印象派の名前が生まれた。

なんと、モネ、ドガ、ルノワール、ピサロなど30名もの画家たちが165品を展示した。というから第1回目から大盛り上がりである。共同出資会社は、会費さえ払えばだれでも参加できる開かれた組織だったようだ。場所は、写真家ナダールのアトリエ。当時は、絵は、部屋の壁いっぱいに隙間なく展示されたというが本当だろうか。

当時のフランスはルイ・ナポレオンの第2帝政の時代。ルイ・ナポレオンはサロン(フランス王立絵画彫刻アカデミー開催の公式美術展覧会)に落選した作品の展示を許可した。これだけで、サロンに属さない画家の力が大きくなっていた容易に想像できる。そして、1863年に開かれた「落選者展」に、マネが「草上の昼食」を出品したことで大騒ぎとなった。当時は、サロンで入選しない限り画家として認められず絵も売れない。マネは、そのサロンの権威を無視し、絵画の常識を覆して普通の女性の裸体を大胆な筆致で描いた。裸体は、ビーナスなら認められるがそれ以外はご法度。マネは、続いて「オランピア」を発表。その娼婦の裸体は更なある大騒動に発展したが、印象派の画家たちは、次々とマネの真似をし、もうその勢いは止まらなかった。第1回印象派展はまさにその発露であろう。

印象派の歴史は衝撃的に始まったが、周知の通り穏やかな絵に彩られた。19世紀後半のフランスは、産業革命によって著しい発展を遂げ、様々な娯楽が開花し、市民は週末には列車で郊外に出掛け余暇を楽しんだ。まさに印象派はその市民の生活を明るい光の下で描いた。少し前のバルビゾン派やポスト印象派と称されるゴーガンやゴッホとは別世界である。ましてや、ピカソやダリとは全く違う。あの穏やかさは、何処から来るのだろうか。私には異質な感じがする。

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