ウィンストン・チャーチル

かの有名な英国の政治家ウィンストン・チャーチルは、軍人でもありノーベル賞作家でもある。言葉の魔術師と称され数々の名言を残した。また、ヒトラーと戦った男として英国では最大限の称賛を今も集めている。

チャーチルは、1940年5月10日、ヒトラーがオランダ・ベルギーに侵攻したその日に第61代の英国首相に就いた。誰も引き受けたがらない状況下で御鉢が回ってきたというわけだ。彼は、数々の“失敗”を繰り返し、且つ、強引なところが目立ち、評判はすこぶる悪かったようだ。朝からシャンパン、ワイン、ウィスキーを飲み続ける大酒のみでもあった。

恐らく平常時なら首相の目はなかったろう。人類の歴史には、非常時になるとこういう人物が時々出てくる。翌月6月14日にはパリが陥落、22日にはヒトラーにフランスが降伏。まさに首相就任早々、英国は、ムッソリーニの仲介でヒトラーと和解交渉に臨むか、徹底抗戦するかの瀬戸際に立たされた。

以下は、1940年5月13日、下院で行った首相就任演説の有名な一節だ。

we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender,
(我々は海岸で戦う、我々は水際で戦う、我々は野原と街頭で戦う、我々は丘で戦う。我々は決して降伏しない)

チャーチルは、戦時内閣が和解交渉に傾く中、戦うことを選んだ。そこから5年間、英国はヒトラーとの戦いに耐え抜いた。もし、チャーチルがいなかったら、英国はヒトラーの傀儡政権となり、米国が連合軍として参戦することもなかったかもしれない。まさに、ヒトラーの野望を砕き世界を救った男である。

ところが戦争に勝利した1945年の総選挙では、戦時中の挙国一致内閣では共に戦った労働党に敗北し首相の座を降りている。それでも、その後も国際政治の場で大きな影響力を発揮した。ヴィクトリア朝時代の大英帝国に拘り続け、帝国主義養護の立場から植民独立の阻止に動いた。「鉄のカーテン」の演説で有名だが、1951年に首相に返咲いてからも敵意剥きだしの反共政策を推し進めた。したがって評価は分かれるところだが、間違いなく歴史を作った人物である。

映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」のエンディングに、チャーチルが残した名言「成功も失敗も終わりではない。肝心なのはつづける勇気だ」のテロップが流れた。一見、強引に見えるが“勇気と辛抱強さ”がチャーチルを大立者にしたに違いない。

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