恒例の秋のモンゴル反省会に今年も来ている。2005年からこの反省会をやるようになって19年が過ぎた。コロナで2年できなかったから都合17回目になる。2022年の6月からモンゴルツアーを3年振りに再開し反省会も行ったが、あの時は、現地スタッフとの再会に涙した。早、再開後3回目になる。現地のスタッフの入れ替わりもあり不安もあったが漸く安定して来た。
最重要課題は、安全に且つ如何に乗馬を楽しんでもらうかである。鞍、鐙、手綱などの馬具や、ヘルメット、プロテクターなどの装備の点検・補充はもちろん大切だが、一番重要なことは、乗馬スタッフとの考え方の共有である。考え方やルールの積み重ねこそが重要である。装備がいくら揃っても人がダメなら意味がない。
私は、1993年の5月にモンゴルに来たのが最初で、以来32年、最低年1回、多いときで年5回は来ているから50回以上にはなるだろう。あっという間に月日が経ってしまった。今年の反省会に来たガイドの多くは20代。“ほしのいえ”や乗馬のスタッフには高校生までいる。つまり、私は彼らが生まれる前からモンゴルに来ていることになる。つい、“昔はウランバートルには信号が一つしかなく、交通渋滞なんかまったくないし、ウランバートル市内なら20分もあれば何処でも移動できた”。などと年寄じみた話になってしまう。
モンゴルは、1992年の新憲法制定で民主化されて以降この30年余りで激変した。高度経済成長期を経て日本が大きく変わったのと似ている。特にウランバートルの変容ぶりには驚愕する。ウランバートルの人口は、1993年に私が初めて訪れたころは約50万人。現在は170万人を超える。なんと全人口約350万人の半数がウランバートルに集中する。当然、遊牧民は年々減り現在は人口の14%程だという。何時のころからか、ウランバートルの街から民族衣装のデールを来たモンゴル人も見なくなったし、あんなにいたストリートチルドレンも姿を消した。高層ビルが立ち並び、世界の名だたる高級ホテル、高級ブランド店、あか抜けたショッピングモールに洗練されたレストランが目を引くようになった。車が増えて交通渋滞は慢性化し、ウランバートルの街は、かつて20分以内だった市内移動が1~2時間もかかるようになった。
しかし、どんなに外面が変わっても、モンゴル人の気質は変わらない。プライドが高く、人に負けることを嫌い、誰よりも前に出ようとする。それが、モンゴルの驚異的な発展を支えてきた。とにかく個の力が際立つ。日本は逆。組織が優先。出る杭は打たれる。その組織が、今のIT社会にそぐわない。さて、10年後はどうなっているのだろうか。不安でもあり楽しみでもある。