シルクロード大走破の番外編として設定した「イスタンブールからローマへの道」に行ってまいりました。
イスタンブールからローマまで、航路を含めると約3,300㎞。
いままでのアジアとは一味違った、しかし、どこかつながっている旅の報告を3回に分けていたします。
①トルコ編(イスタンブールからギリシア国境まで)
ツアー1日目 成田~ソウル~イスタンブール
夜、イスタンブール空港に到着した私たちは、2018年に完成した新空港からホテルへ向かいました。イスタンブールでも見どころの集中している旧市街の中にそのホテルはありました。明日から予定はみっちりあったので、早々に解散。
翌朝、アクティブなお客様はそれぞれに朝の散歩に出かけたようでした。朝食のレストランからは、ボスポラス海峡の入口が望め、ブルーモスク、アヤソフィヤも徒歩圏、と早起きが苦にならない人にはもってこいのロケーション。私も朝食前に、ぶらっと歩いてきました。
ツアー2日目 イスタンブール
朝食後、私たちは、オスマントルコの居城であり、現在はその至宝が拝めるトプカピ宮殿へと繰り出しました。陸からの敵は頑丈な城壁で防ぎ、海からの攻撃ににらみをきかせる絶好の場所に立つトプカピ宮殿。東ローマ帝国時代の宮殿もこの付近にあったことを考えれば、やはり難攻不落の地の利をいかした場所だったのでしょう。オスマントルコはこの地に約500年都を置いたのだ!そしてそれ以前の東ローマ帝国の時代を含めれば1500年以上、この地に都があったことにも納得。
最初の門をくぐると、広大な庭が広がる。ここまでは入場料は要らない。当時の市民もここまでは入れたそうだ。続いて、華美さをそぎ落として「強さ」のみにこだわったような第二の門を入ると、右手に巨大なキッチン(というより食料工場)があり、左手には御前会議場。続く門から先は皇帝と宦官のみのプレイべートゾーン。宝物館はここにありました。城門の作りとは違って細部まで美しさにこだわり、おしげもなく贅を凝らした金銀宝石にため息の連続。そして最後にハーレム。皇帝や皇帝の母親の部屋の豪勢なこと。さすが三大陸にまたがる大帝国の皇帝宮殿でした。
続いて、宮殿からも臨んだアジアとヨーロッパを分かつ海峡ボスポラス海峡を渡ります。現在この海峡は3本の吊橋と日本企業が作った地下鉄で結ばれていますが、紀元前5世紀ペルシアがギリシアを攻めた当時からボスポラス大橋が完成する1973年まで船で渡るしかありませんでした。この「大走破シリーズ」は中国・西安から始まってイスタンブールまでつなぐ「シルクロード」にこだわってきましたから、最後のアジアからヨーロッパへの「一歩」もシルクロード交易時代の移動手段で踏みしめたいと考え、船旅を選びました。
船の出発するアジア側の町カンリジャはヨーグルトが名物というので、出発を待つ間みんなでいただきました。
船に乗り込んでからは、甲板からオスマントルコが建設した要塞や軍事施設などを眺めながらボスポラス海峡を南へ。欧亜にまたがる2つの吊橋の下をくぐり、ヨーロッパ側の船着き場ビシュクタシュまでやってきました。これでアジアからのヨーロッパ上陸達成です。
ちなみに、その船はガラタ橋付近まで行くこともできたのですが、「1453年のコンスタンティノープル陥落の時の『オスマン艦隊の山越え』はどこのあたりを通ったのか」との質問に、ガイド氏が機転を利かせて、ひとつ手前で船を降り「諸説ありますが・・」と断りを入れつつ、その有力なルートを案内してくれました。今は車が渋滞する道ですが、当時はうっそうとした山道だったんだろうなどと想像力をたくましくしながら、その急坂をたどってホテルへ戻りました。
ツアー3日目 イスタンブール ~チャナッカレ
翌日、イスタンブールの考古学博物館を訪ねました。トルコ民族は現在のモンゴルあたりに暮らしていた遊牧民族が西へ西へ移動してここに行きついたと言われており、中国新疆ウイグル自治区あたりから中央アジアを経てトルコに至るまで、共通する料理も多く、言語が近かったりするので、アジアの一国と思っているのですが、トルコ民族が来る以前には、ギリシアの植民地として開拓され、ローマ人に支配されてきた歴史があったことを気付かされました。
ギリシア神話のゼウス、アポロン、アテネなどなどの彫像、アレキサンダー大王の棺、アレキサンダー大王の像、さらにはローマ皇帝像。ここはどこの国だっけ?と思ってしまう彫刻の数々。
旅はまだまだ続きます。午後にはイスタンブールを脱出。マルマラ海の北岸をなぞるように進み、もう一つの海峡にやってきました。ダーダネルス海峡です。こちらもアジアとヨーロッパを分かつ海峡で、日本ではボスポラス海峡に比べると知名度が劣りますが、ペルシアがギリシアを攻めた時も、アレキサンダー大王が小アジア、ペルシアへ兵を進めたのも、こちらの海峡だったとか。ギリシア神話にちなんだ名のダーダネルス海峡。2022年にここにも吊橋が完成し、車で渡ることができるようになりました。
到着した町チャナッカレにはでっかいオブジェがありました。2004年公開のブラピ主演の映画「トロイ」に使われた木馬だそうです。明日はその伝説の地トロイを訪ねます。
ツアー4日目 チャナッカレ~トロイ遺跡~ギリシアとの国境へ
トロイはホメロスの叙事詩「イリアス」に語られた伝説のトロイ戦争の舞台。美女の略奪からトロイ(現トルコ領)とギリシア間の10年にも及ぶ戦争に発展し、アキレス(ギリシア側)やヘクトール(トロイ側)などの英雄が活躍する物語で、ギリシア神話の神々も二手に分かれて争った世紀の合戦絵巻(?)。19世紀ドイツの実業家シュリーマンによって、発掘され、ギリシア神話のトロイ戦争の舞台はここだと、結論付けられました。神話の地が実在すると主張したのです。その後、信ぴょう性は長い間論争になっていましたが、世界遺産で「トロイ遺跡」として登録され、最近「聖なる泉」が発見されたことで、堂々と「トロイ」とうたわれています。恥ずかしながら、私はトロイについて、木馬の話をうっすら覚えていた程度でした、ただ、訪問前に、ギリシア神話やシュリーマンの逸話などを読んで訪れたこの地は、感動の一言。想像力と思い入れなしでは、ただの石垣と土くれなのですが、ギリシア神話のトロイ戦争のくだりとシュリーマンの発掘への熱意に思いをはせながら訪ねると、この遺跡の価値がひしひしと感じられます。お勧めです。トロイには英雄アキレスを崇めたアレキサンダー大王も来てアテネ神殿に奉納したとか、トロイ陥落の時老父を担いで逃げたトロイ側の英雄アイネイアスが、その後ローマにたどり着き、その末裔の王女がローマ建国の双子を生んだとかの話もあり、ここトロイ遺跡はギリシア・ローマ世界の基礎となった遺跡なのでした。
「トルコからローマへの旅」にふさわしい遺跡を訪れた日の午後はいよいよ、最初の国境越え、ギリシアとの国境へ向かいました。アイネイアスがローマへ逃げたときのルートと重なります。国境には大型トラックが列をなしていました。私たちの車はそれをすり抜けるようにすいすいと入っていきます。トルコ側にはしっかり免税店がありました。トルコの地酒(蒸留酒)ラクもありました。アルコール度数40という強いお酒です。さて、出国スタンプをもらって再び車に乗って国境の橋を渡り、ギリシア領へ。陸路の往来も多い国境のため多少時間がかかりましたが無事ギリシア入国。シルクロード大走破の旅もついにユーロ圏に入りました。
今回の旅
悠久のシルクロード大走破【番外編】
終了ツアー イスタンブールからローマへの道14日間