シルクロード大走破の番外編として設定した「イスタンブールからローマへの道」に行ってまいりました。
イスタンブールからローマまで、航路を含めると約3,300㎞。
いままでのアジアとは一味違った、しかし、どこかつながっている旅の報告を3回に分けていたします。
②ギリシア編(トルコ国境~パトラ港・フェリー船内まで)
ツアー4日目 トルコ国境~テッサロニキ
ギリシア入りしたこの日は500㎞超の大移動。途中、出入国もあるため、ハードな1日です。ギリシア入りしたのが16時を過ぎていましたので、宿に着くころには日が沈んでしまうかも、と心配していましたが、5月の南欧の日は幸い長く、かろうじて明るい時間にホテルに到着できました。おなかをすかせた一行はすぐに夕食へ。ワインで入国を祝いました。
ツアー5日目 テッサロニキ~ペラ~ディオン~カランバカ
ギリシア2日目は、ギリシア第二の都市であり、ビザンチン帝国時代はコンスタンティノープルに次ぐ第2の都市であったテッサロニキに残るビザンチン建築(世界遺産)のいくつかを見学しました。ギリシアがローマ帝国の一部に取り込まれたころ、まだキリスト教徒は迫害を受けていました。ハマムで殉教したという聖人ディミトリオスの教会は、聖人の殉教地の上に建てられたそうで、古いフレスコ画が残されていました。続いて、その聖人ディミトリオスを迫害したガレリオス皇帝が4世紀初頭、自分の霊廟として作った建物ロトンダへ。ドーム型の重厚な建物の中は、キリスト教教会、そしてオスマントルコ支配下でモスクととなった経緯があり、聖人や天使のフレスコ画やモザイクも一部残っていました。続いて、ガレリオス皇帝がペルシアとの戦争の勝利を祝った凱旋門です。壁面にはその雄姿などが彫り込まれておりました。
<こぼれ話>テッサロニキ市内でバスを待つ間、脇にあるオブジェが気になりました。ガイドに尋ねたところ、「グリゴリス・ランブラキスの記念碑」とのこと。彼は医師であり、すぐれた陸上選手であり、著名な政治家でもあり、1963年反戦集会に参加後、暴徒に襲われ亡くなりました。彼をしのんで作られたオブジェだそうです。その後ギリシアは政治不安に陥り、軍事政権時代を迎えてしまいます。偉大な政治家として今も親しまれている彼は、「Z(ゼット)」という映画にもなりました。参加者の一人が日本で見たことある!とのことで、当時の思いに浸っておられました。
続いて、郊外のアレキサンダー大王ゆかりの地へ。アレキサンダー大王の国マケドニアの都跡ペラです。大王はここで生まれました。ドーリア式、イオニア式の柱がいくつかと、アゴラの区画、そして広大な敷地ではあるものの、紀元前4世紀の大王の時代を彷彿とさせるものは、そこよりも近くの博物館に収蔵されていました。ギリシア神話にちなんだモザイク画や、遺跡から発掘された品々を展示する博物館。神々の偶像やコイン、生活用品など目を引くものばかり。中でも美しいモザイク画は見ごたえ十分でした。
※恥ずかしながら、中央アジアの旅での印象が強かったせいか、『モザイク=タイル』と思い込んでいました。でも、材料は石でも、ガラスでも、貝なんかでもモザイクなんですね。ここで見た英雄や神々のモザイク画は、自然の小石を丁寧に並べて作られていました。神技!
実は、このペラ遺跡からは、天気がよければオリンポス山が真正面に見えます。というわけで、続いて、オリンポス山のふもとにある遺跡に向かいました。アレキサンダー大王も神託を聞きに訪れたというディオンの遺跡です。今は小さな村ですが、近くに神託を授ける神殿や大浴場を有する町の遺構もありました。そこで湧き出る水はオリンポス山からの伏流水。飲んでみましたが、とてもうまい!オリンポス山には神々が住まわってるとのとですから、神々から直伝のパワーを授かったような気分です。
実は、この町の考古学博物館ですごいモザイクに出会いました。10m四方の床一面に描き出されたモザイクで、中央を飾るのが「戦車に乗ったディオニソス神」です。行ってよかった。
聖地を後に、メテオラに向かいます。約2時間でメテオラの中心地カランバカ到着。ホテルは目の前がメテオラの巨大砂岩の壁。その山頂には聖ステファノ修道院!絶景ホテルです。
ツアー6日目 カランバカ~テルモピュレ~デルフィ
その修道院には翌日訪れました。14世紀ごろから盛んに建立され16世紀の全盛期には24もの修道院があったそうですが、現在は6つのみ。本来は世俗を離れて修行するために、ロープやはしごだけでしかたどりつけないような断崖絶壁の岩峰頂上に修道の場所を求めたのが始まりです。しかし、現在はオーバーツーリズムに悩まされてるそうです。かろうじて神聖な場所として教会部分だけは写真撮影禁止とされているのが、最後の防衛線かもしれません。足のすくむような立地に驚き、断崖からの絶景を満喫した反面、ちょっと複雑な心境です。それでも、修道院の内壁面いっぱいに描かれたフレスコ画は迫力満点でした。
この日は、ペルシア戦争でスパルタ軍のレオニダス王がわずか300の兵力で大国ペルシアの20万の兵を1週間足止めさせ、最後は全滅した歴史的戦場テルモピュレに立ち寄りました。
現在、当時より海岸線が後退し、道路も拡張され、広く軍隊を展開できる広い平野になっていますが、テルモピュレの戦いが繰り広げられた時代は片側は山が、反対側は海へ落ち込む崖が迫る、クネクネとした細い道だったようで、少数の兵が大軍を待ち受けるには有利な地形であったそうです。ただ裏切り者が抜け道をペルシア軍に教えたことで後ろに回り込まれ挟み撃ちになり徐々に追い込まれ最後は後方の山の上で全滅したとのこと。
映画にもなったテルモピュレは「熱い門」の意味で、近くにはその名の由来となった温泉が湧いていました。忘れてましたが、実は、ギリシアは温泉も地震も多い国だったのでした。
足湯で温まったあとは、全ギリシア都市から神託の地としてあがめられていたデルフィへと向かいました。オリーブ畑が延々と広がる中を走りたどり着いた町は急斜面にへばりついたような小さな町で、遠くにイタリアとの交易口であり、神託を求める各地からの船が到着したイデア港が見えました。
ツアー7日目 デルフィ~アテネ
デルフィでは、まず最初に博物館へ。遺跡で発掘された展示物を見学。さすが神託に各地からの奉納品が絶えなかったこの地ならでは品々がいっぱい。「世界のおへそ」、ハドリアヌス帝の寵愛を受けて自殺を遂げることになる少年「アンティノス像」、シチリアからの奉納品である青銅の馭者像など。しかし、まだまだあったはずの貴重な奉納品や彫像は、ローマ帝国が進出してくると、皇帝や将軍がローマやイスタンブールへ持ち去ったというからひどい話です!
続いて訪れたアポロン神殿へ。神殿を囲むその聖域内には、さまざまな像や各都市からの奉納品を収めた宝物庫が立ち並んでいたとのこと。信託はアポロン神殿の地下で行われたそうです。最近の研究によると、神殿は断層の上に立っていて、地面に亀裂があり、そこから麻酔作用のあるエチレンガスなどが出ていて、巫女はそのガスをたっぷり吸うことで恍惚状態になり神託を告げていたというのですが、それがよく当たったというから不思議です。(実は、どっちともとれるようなご神託が多かったとも聞きました)紀元前480年ごろデルフィで大きな地震があったそうで、そのころから「神託の権威が衰退した」ともいわれており、地震によってガスの流出口が塞がれてしまったのが原因と考えると筋が通ります!
さて、次に向かうのはアテネ。明るい時間に到着できたので、ギリシアのお土産を物色です。エーゲ海の塩、パスタ、ギリシアコーヒー、オリーブオイル、はちみつ、ピスタチオなどなど、みなさん思い思いの品をスーパーマーケットや土産物屋さんで見つけられてました。(オリーブオイルと最後のバッグは@デルフィ)
ツアー8日目 アテネ~パトラ~フェリー(船内)へ
朝起きてびっくり、ホテルの朝食会場からアクロポリスの丘が真正面!
朝食後、まずは考古学博物館へ。古代ギリシア人も死んだ人には、冥界への船代としてお金(硬貨)を口に入れて送り出したという話から始まって、シュリーマン発掘の「黄金の仮面」、ほとんど完璧な形で海から発見された青銅のゼウス像(またはポセイドン像。雷光を持っていればゼウス、三叉戟を持っていればポセイドン)豊穣の女神デメテルやペロポーネが描かれた「エレシウスの秘儀の石板」、古代パルテノン神殿に建てられていた「アテネ像(12分の1の模型)」など。
そしてヘレニズム期のコーナーでは
などなど見ごたえのある展示品だらけです。
考古学博物館に続いてアテネの総本山パルテノン神殿の立つアクロポリスへ。
パルテノン神殿は、紀元前5世紀初頭に一度建設されましたが、ペルシア軍によるアテネ進攻で破壊されてしまい、その後再建されました。その後ローマ帝国に組み込まれてからはキリスト教教会として、オスマントルコに支配下にあるときはモスクや火薬庫として使われいたのが、17世紀、ヴェネチア軍の砲撃で延焼。現在、修復が続けられているということ。町のどこからでも目に付く皿状の台地に上に白亜の建造物は神殿というにふさわしい!そしてアクロポリスは思った以上に巨大!神殿はその46本の柱はすべて、内側に微妙に傾斜しており、神殿の前後軸の床も中央部がわずかに膨れているように建てられて、その絶妙な曲線が神殿の美しさを完璧なものにしています。17世紀の破壊は大規模だったのでしょう、修復にはまだまだ時間がかかりそうですが、その美の片鱗を拝んできました。
午後には、アテネからパトラ港へ移動しました。約200㎞、3時間の道のりです。途中、コリントス運河にも立ち寄りました。ペロポネソス半島の付け根を開削して運河としたところです。紀元前7世紀からその発想はあったそうで、カエサルやネロもその一人だとか。現在ようやく東側から西側へ、半島を迂回せずに船で行き来することができるようになりました。運河は掘削面が想像していた以上に、細く、深く、そして垂直でした。
予定よりも遅れて車は港に到着。船と言っても、ギリシアからイタリアへの国際線。乗り遅れないかひやひやしましたが、なんとかセーフ。ユーロ圏内の移動なので手続きは思ったほど複雑ではなく、フェリーはホテルのようにチェックインするとスタッフが部屋まで案内してくれました。豪華客船ではありませんが、船はけっこう空いていて、まずまずの快適さ。部屋も寝台車のコンパートメントにシャワー・トイレを併設させた感じ。乗客はトラックとその運転手が大半で、バックパックのカップルが2,3組。
飛行機と違って外気が吸えるし、車やバスと違ってぶらぶらと歩き回れる解放感がいい。甲板からは沈みゆく夕日を楽しみました。
この食事は自己負担です。ビュッフェで、飲みものやパン、サラダをとってレジに並ぶスタイルですが、メインメニューだけはコックに、あれだ、これだと言わなければなりません。目の前にある食べ物を指をさせばいいのですが、どれくらいの分量が来るかわかりません。ものは試しにオーダーしましたが、さすがトラック運転手が基準なのかビッグサイズ、お値段もこれにパンとコーラで20ユーロ(約3,400円)。朝はドーナツと紅茶だけに抑えました。(笑)
ツアー9日目 フェリー(船内)~バーリ(イタリア)へ
夜が明けました。左舷前方に町が・・・イタリアです。夜中、1か所ギリシア沿岸の港に立ち寄っていた船は、朝起きてみると若い子たちで超満員になっていました。聞くところによると、マケドニアからイタリアへの修学旅行のようです。彼らがロビーやら食堂やらにわんさか屯しています。ひとりの少年から片言英語で声を掛けられ「どっから来た?日本か!東京?そりゃいい。いっしょに写真撮っていい?オーサンキュー、東京ドリフト、最高!!」とか言ってスマホで自撮りして去っていきました。あっけにとられつつ、マケドニアの少年の心を熱くする「東京ドリフト」って何だ?と気になりました。
さあ、いよいよイタリア入国です!
今回の旅
悠久のシルクロード大走破【番外編】
終了ツアー イスタンブールからローマへの道14日間