添乗報告記●イスタンブールからローマへの道 14日間 ③イタリア編(2024年5月)

シルクロード大走破の番外編として設定した「イスタンブールからローマへの道」に行ってまいりました。
イスタンブールからローマまで、航路を含めると約3,300㎞。
いままでのアジアとは一味違った、しかし、どこかつながっている旅の報告を3回に分けていたします。

③イタリア編(フェリー・バーリ到着~ローマ出国)

①トルコ編はこちら
②ギリシア編はこちら

ツアー9日目 バーリ~アルベルベッロ~ブリンデッシ

バーリ港の港湾施設。ただユーロ圏内の移動なのでほぼノーチェックで入国。

バーリ港の港湾施設。ただユーロ圏内の移動なのでほぼノーチェックで入国。


イタリア上陸です。なんせ、ほとんど日本人ツアー客のこないルートだったので、ちょっとだけ心配していたガイドさんとも無事合流。到着した港はバーリ。サンタクロースの教会がある小さな街です。そこから今日の最初の訪問地は世界遺産の町アルベルベッロ目指して、プーリア州の名産品オリーブやさくらんぼ、アーモンドの畑の中を車は走っていきます。トンガリ屋根のかわいい石造りの家が見えて来ました。もともとはお墓の建築様式だったとか。元領主は国王が住居とみなすものに課税するため徴税の際、すぐに解体できる住まいを作るように命じたため、このような家が林立することになったとか。(ホントかなあ)。すぐ解体できるものなら遊牧民のゲルに勝るものはないとおもうのだが、さすがここは石の国。恰好の石材石灰岩がわんさか取れる場所のようです。

このかわいらしい家はトゥルッリと呼ばれる@アルベルベッロ

このかわいらしい家はトゥルッリと呼ばれる@アルベルベッロ


家の中はこんな感じ

家の中はこんな感じ


アイアピッコラ地区からモンティ地区を望む

アイアピッコラ地区からモンティ地区を望む


お店も多く、路地の散策が楽しいモンティ地区

お店も多く、路地の散策が楽しいモンティ地区

このあたりは大地主による大規模農園がたくさんあるようで、道すがら大きな屋敷を見かけることも。

こちらの農園とお屋敷もその1つかもしれません

こちらの農園とお屋敷もその1つかもしれません

さて今夜の宿泊地ブリンデッシ。今回の旅のテーマのひとつ「アッピア街道」の終着点です。アッピア街道はローマから南イタリアの港町ブリンデッシを結ぶローマ時代の幹線道路。ローマがその領土を拡大していく中で、道路建設によってその支配を強固なものにしていきました。アッピア街道は紀元前312年に着工し、244年にブリンデッシまで完成したそうです。その終点を記念してローマ時代の円柱が立っているとのことで行ってみました。港に降りてゆく白く緩やかで幅の広い石段の最上段に立つ円柱。港を何百年と見守ってきたのでしょう。この港からはローマ時代の名だたる将軍や皇帝(アウグストゥスやカエサルなど)そして近世は舞姫「舞姫(森鴎外著)」の主人公が船で旅立っています。

アッピア街道の終点を示すローマ時代の円柱

アッピア街道の終点を示すローマ時代の円柱


町中に立つ初代皇帝アウグストゥス像

町中に立つ初代皇帝アウグストゥス像


町の建築物の地下から発掘された当時のアッピア街道@ブリンデッシ

町の建築物の地下から発掘された当時のアッピア街道@ブリンデッシ

ツアー10日目 ブリンデッシ~ターラント~マテーラ~ナポリ

今日の最初の訪問地はターラント。アッピア街道の要所の一つです。現在は工業都市として有名とのこと。ただ歴史は古く、ギリシアの都市スパルタの唯一の植民地として開拓されたそう。狭い運河の奥に広い内海が広がっていて商船や軍艦の拠点としてとてもいい立地です。そのためか、港の入口にはがっちりした要塞が据えられ、内海を守っていました。ここに見ごたえのある博物館があるというのでナポリへの途中に立ち寄りました。そこでたまたま「レバノン杉」という木を見ました。

15世紀アンゴラ連合王国時代の要塞(ターラント)

15世紀アンゴラ連合王国時代の要塞(ターラント)


大きな船が通るときには開く跳ね橋(ターラント)

大きな船が通るときには開く跳ね橋(ターラント)


ターラントの博物館前にあったレバノン杉

ターラントの博物館前にあったレバノン杉

その博物館がMARTA。ここで見ておきたいのは、「ターラントの金」と言われた精巧な金細工(イアリング、王冠、そして言われないとその機能が想像できない「くるみ割り器」)、そして、ギリシア文明ゆずりの赤絵式、黒絵式と呼ばれる壺絵。ワイン壺(クラテーレ)に描かれた表情豊かな絵が躍動しています。そしてローマ時代のモザイクも美しく展示されています。

イヤリング(MARTA)

イヤリング(MARTA)


王冠(MARTA)

王冠(MARTA)


王冠(MARTA)

王冠(MARTA)


金と青銅で作られたくるみ割り器(MARTA)

金と青銅で作られたくるみ割り器(MARTA)


クラテーレ(MARTA)赤絵式 ディオニソスの一場面らしい

クラテーレ(MARTA)赤絵式 ディオニソスの一場面らしい


クラテーレ(MARTA)赤絵式

クラテーレ(MARTA)赤絵式


モザイク(MARTA)

モザイク(MARTA)

続いて訪れたのが、マテーラ。2021年映画「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の舞台にもなりました。石灰岩質の洞窟に8世紀ごろから修道士が住み着いたのが町の始まりとか。古くは、サッシと呼ばれる「入口が1つ、あかり取りの穴が1つ」のシンプルな洞窟住居が約3,000戸作られていたそうですが、今は、一見、普通の住居が立ち並んでるように見ます。近くの石切り場から石材を持ち込んで、戸口に囲いをしたり化粧板を貼ったりで家らしくしているところも多く、中に入って初めて、くり抜かれた洞窟だとわかるようです。
今は観光客でにぎわうこの町も、20世紀初頭、貧民層が流入。洞窟住居は住環境の悪さから病気の発症や致死率も高く「イタリアの恥」とされ、1950年代に国指導で団地への移転を促されましたが、この洞窟住居の特異性・文化性を見直され、今は税制で優遇するなど、転入政策を進めているとか。「水のマドンナの教会」(洞窟教会)は今も現役のため写真撮影はできませんでしたが、何度も上から塗りなおされたフレスコ画が残っていて信仰の深さを感じました。

セピア色が似あう町マテラ展望 その1

セピア色が似あう町マテラ展望 その1


セピア色が似あう町マテラ展望 その2

セピア色が似あう町マテラ展望 その2


一部公開している洞窟住居(以前も地下水道は整備されていたようだが家畜も同居しており衛生環境はよくなかった)

一部公開している洞窟住居(以前も地下水道は整備されていたようだが家畜も同居しており衛生環境はよくなかった)


街に隣接する渓谷(修道士が逃げてきた当時マテラ全体がこのような風景だったかも)

街に隣接する渓谷(修道士が逃げてきた当時マテラ全体がこのような風景だったかも)


岩窟教会(サンタ・マリア・デ・イドリス教会)

岩窟教会(サンタ・マリア・デ・イドリス教会)


サンピエトロ・カヴェオゾ教会と007の映画でカーチェイスの撮影があった広場

サンピエトロ・カヴェオゾ教会と007の映画でカーチェイスの撮影があった広場

「アンデーナ・ア・ナポリ(ナポリに行きましょう!」
さて続いてはナポリへ移動です。途中のトイレ休憩では、イタリア名物?便座なしトイレを体験したり、車内でイタリアでのコーヒーの注文の仕方を教えてもらいながらナポリを目指しました。ナポリのエスプレッソは美味しいとのこと。お客様は早速、翌朝から朝食にエスプレッソに挑戦されていました。

ツアー11日目 ナポリ~ポンペイ~ソレント~ナポリ

ナポリ、ローマはスリなどが多い、遺跡や博物館でもいる、長年住んでる日本人でさえ、被害にあっているというので、ここから気を引き締めていきましょう。「外に出るときはお金を持たない、手ぶらで出る」くらいの心構えでナポリ入りしました。結果的に、地下鉄やバスに乗る機会はなかったのと、みなさん、警戒心高めで過ごしていただいたので被害はありませんでした。

ナポリ、この日の観光はポンペイです。紀元前79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火で噴出した大量の火山灰に街全体が埋もれたおかげで、そのままの姿で保存され、約2,000年前のローマ時代の街並みや、時にその暮らしぶりなどを、今に垣間見ることができる「街全体が博物館」のような所です。ポンペイを見ずに死ねません。

まずは「海の門」をくぐって町へ入ります。かつてここまで海が来ていたということ。坂道です。町中の道は石畳が敷き詰められ、馬車の轍も重々しく刻まれています。町中に残る家や浴場を訪ねました。

かつての港へつながっていた門からポンペイ入っていきます

かつての港へつながっていた門からポンペイ入っていきます


いろんな火山岩が使われた壁

いろんな火山岩が使われた壁


がっつりできた轍と雨のあと水浸しの道を横断するための飛び石

がっつりできた轍と雨のあと水浸しの道を横断するための飛び石


この日のヴェスヴィオ火山は残念ながら雲にかくれてました

この日のヴェスヴィオ火山は残念ながら雲にかくれてました

中心の広場を離れて最初に向かったのは、ヴェッティの家。奴隷身分から成りあがった金持ちの家だそうです。きれいに残る住居の区画と壁に描かれたフレスコ画がすばらしい。男根をこれみよがしに描いた商売繁盛祈願の絵やエロティックなもの、ギリシア神話をモチーフにした絵もあり、当時の信仰や習慣などにも興味がわいてきます。この邸宅では娼婦が客を取っていたという説もあり、その「サービスメニュー(?)」がフレスコ画で描かれていました。

アナトリア由来の豊穣の神・商売繁盛の神か?(ヴェッティの家)

アナトリア由来の豊穣の神・商売繁盛の神か?(ヴェッティの家)


ヴェッティの家にある中庭(ヴェッティの家)

ヴェッティの家にある中庭(ヴェッティの家)


絵巻物のように一部屋をぐるっと黒の枠で塗りつぶし、その中で様々なキューピットが描かれていた(ヴェッティの家)

絵巻物のように一部屋をぐるっと黒の枠で塗りつぶし、その中で様々なキューピットが描かれていた(ヴェッティの家)


ヘラが放った刺客の蛇を殺す生後間もないヘラクレスを描いた絵(ヴェッティの家)

ヘラが放った刺客の蛇を殺す生後間もないヘラクレスを描いた絵(ヴェッティの家)

ローマ人の入浴に関するこだわりは某漫画・映画でも証明済みのところ(?)。そんなことを考えつつ訪れたポンぺイ遺跡の公共浴場跡。その遺構は凝った装飾に、床暖機能などハイテクな設備が施されていました。

美しい装飾の残る浴場の天井部分。水滴が落ちてこないように半円形になっている

美しい装飾の残る浴場の天井部分。水滴が落ちてこないように半円形になっている


壁に施された屋根を支える巨人像

壁に施された屋根を支える巨人像


部屋を暖めた火鉢の足部分にも凝った意匠が見られる

部屋を暖めた火鉢の足部分にも凝った意匠が見られる


現在のスーパー銭湯もびっくり。体を冷やすための冷水をたたえていた噴水式水盤?

現在のスーパー銭湯もびっくり。体を冷やすための冷水をたたえていた噴水式水盤?

ポンペイは半日ではとても見尽くせません、限られた時間で最後に訪れたのは秘儀荘。ディオニソス信仰が流行していた当時、その信仰にともなう儀式を描いたとされているフレスコ画が、「ポンペイの赤」で鮮烈に描かれています。

ポンペイ秘儀荘に向かう道

ポンペイ秘儀荘に向かう道


この色がこの規模で火山灰の中から復元できたというから感動です

この色がこの規模で火山灰の中から復元できたというから感動です

この日は、ナポリからナポリ湾をはさんで対岸にあるリゾート地ソレントで昼食をとることにしました。1時間ほどのドライブです。天気もよく、ソレントからポンペイを火砕流で埋めた火山ヴェスヴィオがきれいに見えました。美しい海と山、現地ガイドも絶賛する料理を堪能したのち、帰途につきました。

カンツォーネ「ソレントに帰れ」のソレントが見えてきました

カンツォーネ「ソレントに帰れ」のソレントが見えてきました


ソレントから見たヴェスヴィオ火山

ソレントから見たヴェスヴィオ火山

今回のツアーで1,2位を争う美味しい料理でした。写真だけでもご堪能下さい。



ツアー12日目 ナポリ~カプア~アッピア街道~ローマ

さて、今日は最終目的地ローマへ移動します。途中カプアという町でコロッセオを見学します。ここのコロッセオは地上4階地下1階の構造のローマにつぐ第2の規模で、剣闘士(グラディエーター)の養成所もありました。紀元前73年スパルタクスという(奴隷)剣闘士らによる反乱のきっかけとなった町です。当初70人規模の剣闘士がヴェスヴィオ山麓に脱走し、ローマ軍と転戦しながら最終的には数十万の集団に膨れ上がって政府を脅かしたとあります。(映画「スパルタクス」カークダグラス主演、キューブリック監督作品)
剣闘士養成所での剣闘士の生活がどのようなものであったか、グラディエーターの試合のシステム、コロッセオの地下がどうなってるかを見たり聞いたりしたのち、ローマへ向かいました。
※映画「スパルタクス」に登場する架空の人物グラックスの豪邸の壁には、さりげなくポンペイ秘儀荘で見たディオニソスの場面が描かれていました。興味のある方ご覧ください。

剣闘士の武具やコロッセオのレリーフなども展示されているグラディエーター博物館にて

剣闘士の武具やコロッセオのレリーフなども展示されているグラディエーター博物館にて


カプアのコロッセオ(元々はこの上に2階分あり、外側にさらに2重の壁があったそうです)

カプアのコロッセオ(元々はこの上に2階分あり、外側にさらに2重の壁があったそうです)


コロッセオは地下にもこれだけ立派な空間があり、剣闘士や猛獣の控室や、せり上がりの仕掛けなどがありました

コロッセオは地下にもこれだけ立派な空間があり、剣闘士や猛獣の控室や、せり上がりの仕掛けなどがありました

普通にローマのホテルに入ってしまっては「シルクロード大走破」らしくない、ということで、少し手前で下車し、もうひとつの道「ローマ時代の水道」橋を眺めた後、ローマ手前のアッピア街道を歩いてローマ入りをすることにしました。

総延長約70㎞。1㎞で30㎝程度の傾斜でローマへ水を供給するクラウディア水道橋(紀元前52年)

総延長約70㎞。1㎞で30㎝程度の傾斜でローマへ水を供給するクラウディア水道橋(紀元前52年)

いつもなら観光客がわんさかいるはずのアッピア街道がなぜかこの日がガラガラ。ほぼ独占状態。ゆったり歩いて古代の道を堪能できました。アッピア街道は紀元前312年、政府高官のアッピウスの提言で敷設が開始されたすべての道はローマに通ずと言われ、数あるローマの街道の中で、「街道の女王」と呼ばれる道。ポンペイを火山灰で埋め尽くしたヴェスヴィオ火山の石が多く使われたとのこと。上述のスパルタクスの反乱が制圧された際、6,000人もの奴隷反逆者たちは、見せしめのため、十字架に磔にされ、その光景はアッピア街道沿いにカプアまで延々と続いていたそうです。紀元1世紀ペトロが皇帝ネロの迫害にローマを脱出を図ったものの郊外で、死んだはずのキリストに再会したのを機に、悔い改め、殉教の意を決してローマへ引き返したのもアッピア街道であったと言われています。初期キリスト教徒の共同墓地(カタコンベ)やお金持ちの墓が立ち並んでいるところでもあり、ローマの歴史が凝縮された街道と言えます。

イタリアの笠松(剪定していると思ったら、自然とこのような形になるらしい)

イタリアの笠松(剪定していると思ったら、自然とこのような形になるらしい)


麦?とアッピア街道、この石がヴェスヴィオ火山から来たのかと思うと感慨深い

麦?とアッピア街道、この石がヴェスヴィオ火山から来たのかと思うと感慨深い

花とアッピア街道、この街道沿いに何万もの十字架が立ち並んでいたのだろうか

花とアッピア街道、この街道沿いに何万もの十字架が立ち並んでいたのだろうか


ギリシアやローマの建築のモチーフによく用いられた植物アカンサスとアッピア街道

ギリシアやローマの建築のモチーフによく用いられた植物アカンサスとアッピア街道


ザ・アッピア街道

ザ・アッピア街道


アッピア街道沿いの家の壁に使われていた石たち

アッピア街道沿いの家の壁に使われていた石たち

古代ローマキリスト教徒の集団墓地カタコンベ(内部撮影禁止)や、ローマの城門もしっかり目に収め、市内ど真ん中のホテルへと向かったのでした。

スパルタクスの反乱を鎮圧した有力者の妻あるいは義理の娘と言われるチェチーラ・メテッラの墓。彼女は磔の十字架をどう見ていたのだろう?

スパルタクスの反乱を鎮圧した有力者の妻あるいは義理の娘と言われるチェチーラ・メテッラの墓。彼女は磔の十字架をどう見ていたのだろう?


カタコンベ入口付近にあった花

カタコンベ入口付近にあった花


マイルストーンの写真を撮る

マイルストーンの写真を撮る


ローマの南の入口になっているサンセバスティアーノ門

ローマの南の入口になっているサンセバスティアーノ門

ツアー13日目 ローマ~ローマ出国へ

この旅はローマが終点です。つまり今日が最終日。午前中、バチカン博物館へ。この博物館は現在完全予約制。販売開始するとすぐ完売という超難関の博物館のひとつです。幸い今回は全員入場券は確保できておりますが、それにしても大盛況です。世界中から訪問者がいるのですから当たり前か・・・。テレビや教科書でみたような美術品が目白押し。これらも戦利品であったり、教会に集まった冨に任せて作った物。その美術品をバシャバシャ写真に収めつつ、工芸品としての価値の高さにめまいを感じるとともに、信仰って何を求めてるんだ?とも。ちょっと複雑になりつつ、「これは何日見ててもあきまへんわ。」「いや、これは何日あっても足りませんわ」と思った次第。

ヴァチカン美術館は、朝からのこの込み具合。さすがローマ。

ヴァチカン美術館は、朝からのこの込み具合。さすがローマ。


トロイの木馬の罠を見破っていたトロイの神官ラオコーン。神の怒りをかって毒蛇に息子ともども殺される姿。(紀元前1世紀ごろ)(ヴァチカン美術館)

トロイの木馬の罠を見破っていたトロイの神官ラオコーン。神の怒りをかって毒蛇に息子ともども殺される姿。(紀元前1世紀ごろ)(ヴァチカン美術館)


ミケランジェロのダビデ像やラファエロのキリスト画などに影響を与えたと言われる紀元前1世紀ヘレニズム期の傑作(ヴァチカン美術館)

ミケランジェロのダビデ像やラファエロのキリスト画などに影響を与えたと言われる紀元前1世紀ヘレニズム期の傑作(ヴァチカン美術館)


手前の赤い円盤は、ネロ皇帝の宮殿で発見された巨大水盤。後ろの金メッキの像は2世紀のヘラクレス像(ヴァチカン美術館)

手前の赤い円盤は、ネロ皇帝の宮殿で発見された巨大水盤。後ろの金メッキの像は2世紀のヘラクレス像(ヴァチカン美術館)


コンスタンティヌス皇帝の娘のために作られた立派な石棺。キューピットが収穫する姿が描かれています(ヴァチカン美術館)

コンスタンティヌス皇帝の娘のために作られた立派な石棺。キューピットが収穫する姿が描かれています(ヴァチカン美術館)


エトルリアのコーナーにあった謎の鋳物(ヴァチカン美術館)

エトルリアのコーナーにあった謎の鋳物(ヴァチカン美術館)


ハドリアヌス帝の別荘から発掘されたアルタミス像(ヴァチカン美術館)

ハドリアヌス帝の別荘から発掘されたアルタミス像(ヴァチカン美術館)


入場と同時に「おーっ」と歓声があがった、「地図の間」に輝く黄金の天井装飾(ヴァチカン美術館)

入場と同時に「おーっ」と歓声があがった、「地図の間」に輝く黄金の天井装飾(ヴァチカン美術館)


「地図の間」の地図は1580年代の制作。ザビエルが来日して間もないころ。当時の日本の地図の精度とは比較になりませんね。(ヴァチカン美術館)

「地図の間」の地図は1580年代の制作。ザビエルが来日して間もないころ。当時の日本の地図の精度とは比較になりませんね。(ヴァチカン美術館)

続いてシスティナ礼拝堂。天井から壁面一面に描かれるミケランジェロの「天地創造」や「最後の審判」のフレスコ画は、ひとつひとつ聖書からテーマが選ばれているのですが、それまでの常識を覆す、天才ミケランジェロによる斬新な解釈や構図で描かれていると説明を受ける。荷物にはなるが、双眼鏡を持ってくればよかったと思いました。
システィーナ礼拝堂の次は、サンピエトロ大聖堂へ向かうのですが、団体ツアーならではの、専用の近道ルートがあるとのこと。ここはツアーの恩恵を受けることに。もし普通に見ようとすると、サンピエトロ広場を半周以上する長蛇の列に並ばなければならなかったからです。(システィーナ礼拝堂は撮影不可のため写真がありません)

ヴァチカン美術館の入口は、どこにでもありそうな城壁の一部から入場したのですが、数々の世界を代表する美術品を眺めているうちに、システィーナ礼拝堂を経て、気が付いたら、サンピエトロ大聖堂の間の前に立っていました。一人で同じ道をもう一度行けるかと問われると、自信がありません。サンピエトロ大聖堂の正面入り口は重厚な扉で閉じられていました。「聖なる扉」といって、聖年(25年に一度の、ローマに巡礼すると罪が免除される年)にのみ開かれるそうで、来年2025年がその年だそうです。聖年のローマはそれはそれはとんでもなく巡礼者でごった返すそうで、今年に来れてよかったと胸をなでおろしました。

サンピエトロ大聖堂の前に立つペトロ像

サンピエトロ大聖堂の前に立つペトロ像


25年に一度開かれる聖なる扉

25年に一度開かれる聖なる扉

正面は閉まってるので、大聖堂へは少し脇の扉から入りました。サンピエトロ大聖堂は、その名の通り、聖人ピエトロ(ペテロ)に捧げられた聖堂で、そのペテロのお墓の上に建てられています。今日は朝からたっぷり別世界に浸れたのですが、この大聖堂に入るや、また、圧倒されてしまいました。でかい!高い!まぶしい!それだけじゃなく、その中に名だたる彫刻家が芸術家生命をかけて彫り上げた像の数々が安置されています。見どころがありすぎでカメラをどこに向けていいか、迷ってしまいます。そして、大きすぎてカメラに収めきれない、収めてもその迫力が伝わりにくい。サンピエトロ大聖堂は、やはりそこに来なくては感じられない威光?威圧感?崇高感?がありました。

サンピエトロ大聖堂は、ローマカトリックの総本山で、キリスト教建築の最大級建築物

サンピエトロ大聖堂は、ローマカトリックの総本山で、キリスト教建築の最大級建築物


高さ、広さにに加えて、金色の輝きが目を奪う

高さ、広さにに加えて、金色の輝きが目を奪う


グレゴリオ暦を採用したグレゴリウス13世の墓碑

グレゴリオ暦を採用したグレゴリウス13世の墓碑


巨大な丸屋根を支える4本の柱の1つにまつられるロンギヌス像(磔後のキリストの生死を確認するために突いた槍を持つ)ベルニーニ作

巨大な丸屋根を支える4本の柱の1つにまつられるロンギヌス像(磔後のキリストの生死を確認するために突いた槍を持つ)ベルニーニ作


布の柔らかさをも石の彫刻で表現したベルニーニの傑作 アレクサンデル7世の墓碑

布の柔らかさをも石の彫刻で表現したベルニーニの傑作 アレクサンデル7世の墓碑


ミケランジェロも設計に携わったという、直径40mもある大聖堂の丸屋根(クーポラ)の内側

ミケランジェロも設計に携わったという、直径40mもある大聖堂の丸屋根(クーポラ)の内側


ペトロが使っていたという木座をベルニーニが荘厳に飾り付けた司教座

ペトロが使っていたという木座をベルニーニが荘厳に飾り付けた司教座


中央にオベリスクが立つサンピエトロ広場

中央にオベリスクが立つサンピエトロ広場

結構な入場料を取る美術館や大聖堂にもスリがいると聞いて驚きましたが、これだけの美術品、工芸品を眺めていれば、スキだらけになってしまいます。みなさんご注意ください。

ここからはローマに来たら見ておきたい、スペイン階段とトレビの泉を駆け足で巡り、午後は、ローマのメインイベント・コロッセオに向かいました。

ローマの休日でおなじみスペイン階段 最近はアイスクリームを食べてはだめらしい

ローマの休日でおなじみスペイン階段 最近はアイスクリームを食べてはだめらしい


ご存じトレビの泉

ご存じトレビの泉


ムッソリーニの演説で知られるベネツィア宮殿

ムッソリーニの演説で知られるベネツィア宮殿


ヴィットーリオ・エマヌエーレ記念堂

ヴィットーリオ・エマヌエーレ記念堂

と、その前にガイドさんが気を利かせてフォロ・ロマーノも案内してくれたので、ちょっと得した気分でのコロッセオ入りでした。

紀元前6世紀~後3世紀まで古代ローマの政治・経済の中心だったフォロロマーノの一角

紀元前6世紀~後3世紀まで古代ローマの政治・経済の中心だったフォロロマーノの一角

前日カプアでコロッセオを見て少し学習してるのでコロッセオの構造はイメージできてましたが、実際中に入って観覧席からステージを見下ろしてみると当時のローマ人が熱狂していたイメージが湧いてきます。
しかも、現在のコロッセオは円柱形(楕円の円柱)から欠けています。ローマの衰退ののちの時代に、地震による崩壊もあるのでしょうが、新しい教会などの建築資材に持っていかれたという話は悲しくなります。とはいうものの、日本でも古墳の石棺をお城の石垣や神社の手水箱に使ってるんだから偉そうなことはとても言えませんが。しかし、欠けていながらも美しく見えるのはどうしてなんでしょうか。

左側を見ると、もともと、三重の構造であったことがわかる。今はないが最上階から内向きに日よけのテントが張られていたそうです。(ローマ・コロッセオ)

左側を見ると、もともと、三重の構造であったことがわかる。今はないが最上階から内向きに日よけのテントが張られていたそうです。(ローマ・コロッセオ)


地下施設が丸見え状態のコロッセオ、ここに水を張って模擬海戦が演じられたとの話も(ローマ・コロッセオ)

地下施設が丸見え状態のコロッセオ、ここに水を張って模擬海戦が演じられたとの話も(ローマ・コロッセオ)

これでシルクロード大走破の終点ローマも満喫して、その夜帰国の途に就きました。14日間、いつも思いますが、長いようで終わってみるとあっという間の旅でした。

今回の旅

悠久のシルクロード大走破【番外編】

終了 イスタンブールからローマへの道14日間

イスタンブールからボスポラス、ダーダネルス海峡を越えて、ヨーロッパ入り。ギリシアの古代文明、ローマ時代の街道の痕跡などをたどってローマを目指します。
出発日設定2024/05/19(日)
ご旅行代金1,298,000円
出発地東京・大阪・名古屋

詳細を見る

①トルコ編はこちら
②ギリシア編はこちら

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