小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
薬草実習最終日、パルーを採取するよう指示が出され、男子はそれぞれが鎌を手にしてベースキャンプを出発した。
「オガワ、どうする」
親友のジグメの問いは、すでに僕がどう答えるかを見越している。
「いつもの場所へ行くか」
いつもの場所、それは数箇所あるパルーの採取ポイントの中でも、最も遠く険しい場所を意味している。しかし、僕もジグメも何故か今ではあの山深く急流が脇を流れていく谷に愛着すら感じてしまっている。
パルーは四千m以上にしか生えないツツジ科の低木で、その優れた芳香からお香や薬草茶の原料として用いられている有用な薬草である。チベット語で「サン」という名前で売られている香の原料はパルーで、チベット人は縁起を担いで何かにつけてサンを焚く風習がある。
いつものように足早に採取ポイントを目指していると、ジグメが僕の背中に回った。
「オガワ、今日はお前が道案内をしてくれ」
普段は僕が彼の背中を追うことが多い。しかし、今日は僕がどこまで山を把握しているか試そうというのだろうか。
「ああ、分かった。しっかり付いてこいよ」
少しおどけていうと、僕は意地を張って歩くスピードを上げたが、もちろん彼は余裕をもってピッタリと後ろに付いてくる。8歳でお寺に入るまで電気とは縁のない生活を送っていた彼と僕の間には、どんなに頑張っても埋められない経験のギャップが存在する。そしてその歴然としたまでの違いは、時に、すがすがしいまでの諦めを僕に味あわせてくれる。僕にとってはヒマラヤ薬草実習という一大イベントであっても、彼にとっては小さい頃からの日常生活の延長ぐらいでしかないのかもしれない。「あたりまえの姿」ほど格好よく神秘的に映るものはない。
「オガワ、ここで高度を上げないと後で道がきつくなるぞ」
背中からジグメがさりげなくアドバイスをくれる。僕もジグメも採取ポイントに辿り着くまで決して休憩を取らないし、その方が疲れないことを知っている。朝日がようやく深い谷を照らし始め、僕はサングラスを着用した。遠くに濃緑色をしたパルーの群落が見える。
到着後、上がった息を鎮めるまもなく僕たちは鎌でパルーを刈り始めた。思えば1年生の時、パルーの刈り方(枝を入れるか否か)を巡ってジグメと大喧嘩になり山中で別 れて帰ったことがあった。喧嘩の興奮がまだ冷めないうちにベースキャンプに戻るとジグメが先に着いている。
「オガワ、無事だったか。チャイができているぞ。飲めよ。俺たちはドッポ(友達)だろ・・・」
人間もすっぽりと納まろうかという大きな麻袋にパルーを詰め込むと約50キロ近くになり、この麻袋を担いでベースキャンプまで帰る道のりは、薬草実習の中でも一番辛く遠く感じられ、特に荷を背負ったまま急流を渡るときは心臓の鼓動が一段と激しくなる。しかし、彼はそんな僕を尻眼に飄々と渡って行く。一度だけ「怖くないのか」と尋ねたことがあった。
「流されたらその時考えるさ」
仏教での死生観があるからチベット人は死を恐れないのだろう、と簡単に捉えられることが多いが、それは違うと思う。厳しい大自然の中で生えてきた者のみが感得できる普遍的な勇気ではないだろうか。少なくとも僕は正直に「怖い」と心情を吐露し祈りながら足を踏み出す。背中の荷が右に傾き足を踏ん張るが、持ちこたえられそうに無い。だめだ、落ちる!と思った瞬間、何かに支えられたかのように重心が中央に戻ってきた。守られている、と感じたのは一度や二度だけではない。
パルーを背負い黙々と歩く。一歩ごとに重みが背骨に響いてくる。そしてそのパルーの響きは僕の体に染みこみ僕を変えていく。気がつくといつものように彼の背中を見ながら歩いていた。どんなに頑張っても彼に追いつくことはできないだろう。でも、この一歩一歩が「あたり前の日常の世界」へと少しずつ近づけているに違いない。
その夜、実習が終わった安堵感も手伝ってジグメは饒舌だった。さかんに日本のことについて尋ね、最後にしみじみとこう語ってくれた。
「エベレストの山頂に多くの日本人が登るというから、きっと日本人もたくましいのだろう。でも、オガワ、お前は間違いなく、その誰よりもたくましいに違いない」
僕にとってこれ以上はない最高の賛辞に、照れくさくなって僕は下を向いてしまった。
注 さすがにエベレストの登山家には負けるので勝負を挑まないでください。