小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
8月下旬、20日間に及ぶマリーでの薬草実習を終えてテントなど機材一式をトラックに詰め込むと、上部には僅か1m ほどの隙間が残され、そこに最後の忘れかけた荷物、とでも言わんばかりに僕たち生徒はもぐりこんだ。幌によって切り取られた長方形の風景が次々と移り変わっていく。つい昨日まで駆け巡っていたフィールドに惜別の念を抱きつつも、それ以上に久しぶりにマナリの街に戻れる喜びに心を躍らせながら約2時間トラックの揺れに身を任せていた。
マナリは標高1900mに位置する風光明媚な避暑地。渓流に沿った深い谷に街があり、両側の山にはリンゴ園が広がる。ダラムサラほどではないにしろマナリにも多くのチベット難民が暮らしている。そしてここのチベット寺において山から運ばれてくる大量の薬草が乾燥される。
僕たちも山から下りて3日間はお寺で過ごすことになるのだが、まずは最後の薬草採集としてシムティク(シソ科)の採取が命じられ、タオルを片手に、鎌を片手に出発した。ミントの仲間で芳香が強いシムティクはマナリ名物の温泉の周囲に群生しており、採取が終わったら温泉で溜まりに溜まった垢を洗い流すのもここでの大切な仕事である。少し熱い硫黄泉に身を委ねながら、今年も無事に帰ってこられたことを実感する一時でもある。
シムティク・レイ・ミクギ・リントク・レン
シムティクは眼の角膜の病に効果がある。
<四部医典論説部第20章>
お寺に戻りシムティクを刻み終えると実習の疲れが噴き出したのか、生徒はみんな尽きることなく眠りに入った。お寺のお堂には清々しい風が通り抜け、風鈴の音が耳をくすぐり疲れを癒してくれている。風はシムティクの芳香や山の匂いだけでなく街の気配、ざわめきも一緒に運んできてくれ、実習が終わったことを改めて教えてくれる。もう薬草を採りにいかなくてもいいんだ・・・。闘い終えた戦士たちの休息。すぐ右隣のイシェーの寝顔、左隣のゴンポの寝顔を眺めていると、チベット人である彼らと一緒に山々を駆け巡った一体感が改めて込み上げてきて心地よい充実感に包まれた。と、そのとき遠くから声が聴こえた。
「雨だー、みんな起きろー!薬草を取り込め!」
数人は反応して起きだすが数人は狸寝入りしているのかそのまま眠っている。僕たちが山で駆け巡っている間もお寺では絶え間なく乾燥の作業が続けられている。その責任者、いや、傍目には生徒に遣われている使用人のように見えるかもしれない人物、それがシャンバおじさんである。寡黙なというよりは朴訥なという表現がピッタリとくるだろうか。チベット医ではないもののチベット薬製造の最も重要な部分を担い続けており、生徒から慕われ尊敬されている職人である。一般 的にチベット医学は生薬加工法が発達しているとされ、シムティクも有効成分が抽出された濃縮液として内服の眼薬に処方される。
たったの3日間ではあるが乾燥の作業を手伝ってみると、ある意味、採集作業よりも大変であることを思い知らされる。ある薬草は発酵して熱を持ってしまうため頻繁に切り返し、ある薬草は乾燥を速めるためにさらに細かく刻まなくてはいけない。頻繁に乾燥状態をチェックしつつ、終わったならば麻袋に詰めて保管する。薬草採取のような身の危険はないものの朝から晩まで気の休まる暇が無い。そして、シャンバおじさんとマナリの風の共同作業によって見事に乾燥された薬草は僅かな量 に萎んでしまい僕たちをがっかりさせる。丸一日かけて袋一杯に採ってきたルクル(第12話参照)が、たった手のひら一杯になってしまうのをみると何とも寂しくなってしまう。だからなのか日本の漢方薬局に陳列されている百種類近い薬草を見ると効果 効能や東洋医学何千年の歴史よりも、むしろ生薬を採取した労夫や職人の苦労の歴史についつい思いを馳せてしまうのだ。
そしてそんな身近な歴史を知り、患者に語れることこそがチベット医学の大きな特徴ではないかと僕は考えている。
仕事が一段落するともう夕暮れときになっていた。リンゴを買出しに出かける者、恋人同士で街に出かける者、また眠る者・・・・。
「オガワ、お洒落してどこへいくんだ?もうすぐ夕食だぞ」同級生の問いに笑顔で「ちょっと」と答えると僕は街の外れにある高級レストラン「ジョンソンズクラブ」を一人こっそりと目指した。ここの虹鱒料理とビールは絶品である。薬草実習を頑張った自分への最高の御褒美。みんなには申し訳ないが、どんなに一緒に山を駆け巡っても、やっぱり僕は日本人なのである。
参考 デリーからマナリまでは車で10時間、マナリからダラムサラまでも10時間近くかかる。