小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
一年に一日だけ、それも満月の光の下でしか作ることができない神秘的な薬、その名も月晶丸。チベット暦8月15日の夜、雨季が明けたばかりのこの時期は大気中に塵が少なく、月光(ダオー)が遮られることなく真っ直ぐに煌々と地上へ降り注ぐ。西暦では9月か10月に当たる満月の夜、僕たちは月光を浴びながら徹夜で作業を行うことになる。月光の影響を受けるのは必ずしも薬だけとは限らない。チベット医学の深淵なる智慧に触れることのできる光悦感によって僕たちも少しずつ変わっていっているのかもしれない。
ちょっと待てよ、この夜、雨が降ったらどうするのだろう、という心配事をするのは、先のことを心配したがる日本人の僕だけであることにすぐに気がついた。みんな誰も心配なんてしていない。なぜなら、必ず晴れる、世界はそうなっているのだから。事実、少なくとも僕が入学して以来5年間は一度も雲が陰っていない。もちろん、潮の満ち干きに関係している物理的な要因も働いていて決してロマンチックな偶然ではないのかもしれない。それでも僕はこの夜を僅かな心配とともに心待ちにし、チベット人たちはこの神秘的な行事を日常の一コマのように笑いながら過ごしていく。
そういえば雪深い北信濃の健康茶製造会社に勤めていた折「明日は満月だから、降り続いている雪も止むだろう」よくこんな話を耳にしたのを思い出した。たしかに満月の夜になると雪が止み、後手に回っていた除雪作業に一段落着くことができたものだった。そしてその夜、真っ白な雪の上に満月が煌々と輝くのを眺めて、神様はなんと素敵な演出をされるものだろう、と悦に入っていたのを覚えている。さらにもっと遡ると子供の頃、中秋の名月にお月見団子を作った楽しい思い出が甦ってくる。だからなのか、こうしてペッタンコと月光の下で白い薬を捏ねていると、小さい頃の団子つくりを思い出し、月光の下に敷きつめられた真っ白な薬を眺めると富山や長野の新雪が連想される。
満月には純白が似合っている。いや、満月は白い色がすきなのかもしれない。だから新雪の上に、月晶丸の上に、月見団子の上に満月は昇る。今も昔も、チベットでも日本でもそうなっている。
ダシェル・チェンモ・ジョルワ・ディ・ドゥク・タン・ムックポ・タク・トゥ・トゥキュク・タン・マシュ・ランタブ・スィン・タン・チュセル・テン
月晶丸は毒の病、吐血、下血、消化不良、激しい腹痛、寄生虫、黄水の病、腫瘍、に効果 がある。
配合薬効能一覧集より
硬石膏・チベット名・チョンシ
月光の下での調整
調整が終わり月光を吸い込む薬
硬石膏(主成分は炭酸カルシウム)にトリカブト(第8話)と硝酸を混ぜて煮込み、その後、焼いて乾燥させる。そして、その白い粉を石の上で牛乳と混ぜ合わせる作業は必ず満月の下で行わなくてはならないとされるが、その理由は現在も解明されていない。X線解析などで調べてみても構造の変化は全く見いだせなかった。チベット医学では、月のクール(涼しい)な性質を取り込むため、と抽象的に説明されているが、そもそも本当に月光によって変化が起きるのだろうか。
現実には、太陽の強い錯乱光ならともかく、月光の微弱な偏光が化学的変化を及ぼすとはとても考えられない。しかし、この作業が始るにあたる科学的な理由はそれなりにあったのだろうと僕は推測している。おそらく、もともと現実的な意味合いをおびていたものが、後世ではその本質が忘れられ形式だけが残されていく祭りの儀式ように、チベットという辺境の地に過去の科学の痕跡が残されていたという可能性もある。
ただ少なくとも、満月の薬という名前が与えてくれるロマンチックな効果だけは現代まで途絶えることなく引き継がれているといるのは間違いない。きっとこの薬を患者に渡すとき、僕たちの心にあのときの月光が浮かび、それが患者に伝わることだろう。そして患者の心を涼しい月光で照らして熱病を癒していたとしても、その作用を科学的に解明するにはまだ時間がかかりそうだ。月夜の薬が与えてくれるプラセボ(偽薬)効果 に、現代医学が学ぶべきものは少なくない。
今年2007年の月晶丸は9月26日に作られます。どうぞみなさんもこの夜、遠く離れたダラムサラで月晶丸が作られていることを想像しながらお月見団子を作ってみてください。
今年も満月が昇りますように。
補足:月晶丸はダシェルという名前で処方されます。またトリカブトは調整に用いられるだけで薬の成分には含まれていません。
偏光:一定方向にしか振動しない光
プラセボ効果:薬そのものの効能ではなく、患者の思い込みによって生じる効果 。