小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
病院の一日は朝9時から30分間、職員全員の読経で始まる。薬師如来、お釈迦さまを讃えるお経を唱えターラ菩薩に差し掛かったとき、職員の4歳になる子供が一緒に唱え始め、診察室は和やかな雰囲気に包まれた。なぜかは分からないが、チベット社会では幼稚園でターラ菩薩のお経を毎朝読経させており、したがってほぼ全てのチベット人はこのお経をスラスラと暗誦することができる。ダライ・ラマ法王も含め、高僧の方々もきっとこうして小さい頃からお経を読んでいらしたのだろうか。
診察を終えた子供たちが待合室で脈診ごっこをして遊んでいるのを発見して、なぜだか心がほんのりと温まった。「ほら、こうやって三本の指を手首に当てて・・・」。微笑を浮かべながらじっと見つめている僕に気がつくと、「あ、恥ずかしい」と手を引っ込めてしまった。そういえば、メンツィカンに入学したてのころは僕たちも教室で脈診ごっこに興じていたのを思い出した。あの延長上にいまの僕たちアムチが存在している。
ダライ・ラマ法王のお寺に足を運んだとき、大きなお釈迦さま像の前で、小さな子供が親に頭を押さえつけられて泣いていた。よく見ると「いいか、五体投地とはこうやって・・・、こら!頭を下げんか」とまるで『巨人の星』のごときスパルタで五体投地が教え込まれているところだった。チベット人がお寺のお堂に入ると、ごく自然に五体投地をはじめるのも納得がいく。
メンツィカンの男性寮の裏には幅3mほどの狭い空間がある。日曜日や午後、授業がないときはその僅かな空間を利用してクリケットがはじまる。ある日「オガワもやってみるか」と大人が子供に手ほどきをするがごとくクリケットのバットを渡された。しかし、こうみえても僕は純粋な野球少年だったのだ。野球の誇りに懸けて、一球だけ空振りしたあと、次の球は思いっきりホームランをかっ飛ばして面目を躍如したものだった。そういえば僕も小さい頃は家の廊下、稲刈りの終わった田んぼなど、どこでも大好きな野球で遊んでいたものだった。
「小川さんは小さい頃から薬草に興味を持っていたのでしょう」とよく尋ねられるが、実は興味を持ち始めたのは20歳くらいの時だったと告白してしまうと自分の株を下げてしまうことになるだろうか。先日、風のツアー客と夕食を御一緒した際に
「私は薬草に興味が全く無いので小川さんと話が合わないかもしれません。薬草というと貧しかった小学校時代に生活費のためにゲンノショウコ(チベット語でリ・ガドゥル)を採っていたことがありましてね。どんなに採っても乾燥すると幾分にもならないので辛い思いをしたものです」と言われるに及んで逆にこちらが恐縮してしまったことがある。
どんなに薬草に興味を持ちチベット医学を学ぶに至っても、年配の方たちの生活に根ざした薬草に対する知恵には到底かなわないだろう。いくら格好いい知識を並べ立てても、戦後の食糧難の時代に食べたというアカザの味を僕はまだ味わっていない。だから「薬草の達人」という称号に面映さを感じるときがある。ただ、大自然に囲まれた故郷で泥んこになりながら遊び、楽しむことにかけては天才だったかもしれないが。
ガドゥル・リム・タン・ロツェ・ツァツェ・セル
ガドゥルは感染症と肺病の熱、脈管の熱を癒す。 四部医典論説部第20章
こんな弱々しい僕でも大外狩りを知っている。だから柔道は日本が強い。こんな機械オンチの僕でもエンジンの仕組みを知っている。だからトヨタは世界に進出している。チベット人は誰もがお経を唱えることができる。きっとブラジルではどの野原でも子供たちがサッカーに興じているのだろう。優れた文化は小さいころから育まれている。子供たちに素振りやキャッチボールを教えることにより、野球の底辺が拡がっていくように、医薬の視点から薬草の楽しさを伝えることにより、その中から未来の優れた医者が生まれてくるのではなかろうか。そのためには大地に根ざしたチベット医学というツールが必要になってくる。そうだ今度、日本の子供たちに脈診ごっこを伝授しあげようか。そして、ゲンノショウコを一緒に採って薬草茶を作りながらアムチごっこをやってみよう。