小川 康の 復活『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
2009年12月19日、無料で白内障手術を行うアイキャンプ隊(第25話参)の通訳として日本からダラムサラへ同行することになり、いきおい心が弾んだ。10年間過ごした第二の故郷へ向かう僕の脳裏にはたくさんの同級生たちの顔が駆けめぐる。チベット語をしばらく話してないけど大丈夫かなと不安がよぎるものの、現地に到着して出会ったとたんに言葉が昔と同じようにあふれ出すから不思議なものだ。結婚して母親になった同級生もいれば、逆に遠く離れたために別れたカップルもいる。兄妹のように仲良くしていたドルマちゃんは婚約し、ちょっと気兼ねしながらも彼を紹介してくれた(第46話)。ダージリン分院(インド北東部)に赴任したトゥプデンは一年目にして名医の評判がたち、患者で賑わっている一方で、グジャラート(インド南西部)に赴任した同級生は地元のインド人からの信頼が得られず悩んでいるという。厳しい学生生活から解放された反動か、それともアムチ(チベット医)として安定した給与を得ているからなのか、みんな総じてふっくらとしている。かく言うこの僕もみんなから「ちょっと太ったよな」と言われたけれど。
「で、オガワはどうなんだ。アムチとして活躍しているのか」。
彼らの僕に対する興味はこの一点に尽きる。
「アムチ薬房と看板は掲げているけれど、扱っているのは日本の伝統薬であって、チベット薬は法律で処方できないんだ(第63話・あとがき)」
そう答えると、彼らは一様に“なんだそりゃ?”と複雑な表情を浮かべる。正式なアムチと認められたオガワが日本の医療社会で認められるか否かは、チベット医学が果たして世界基準で通用するのかどうかの物差しとなるようだ。欧米や日本の一部では救世主のごとくチベット医学が誇大広告されているが、少なくとも同級生達は浮き足立つことなく冷静に捉えている。チベット医学がまだ世界的に認められていないことをアムチ自身が一番よく知っている。
「オガワ、薬が駄目なら、お香やハーブティーをたくさん買っていきなさい。そしてしっかりと儲けて東京に分院を作ってちょうだい」とは売店のペマさんの談。
「薬も少しは持って帰りなさい。いつ必要となるかわからないでしょ。沈香三十五味丸、月晶丸、熱さましに竜胆八味丸に、それに、これと、これと・・・・」と特別に薬を処方してくれたのは実習時代にお世話になったダチュ先生。
医学生時代はお金儲を良しとしないため、遠慮がちに薬や商品を買っていたのだが、アムチとなるとこうも対応が違うのかと驚かされる。彼らからは「オガワ、お前はメンツィカンの厳しい試験をくぐり抜けた真のアムチではないのか」そんな無言の訴えを漠然と受け止め、そのモヤモヤは数日後に出会う一コマの風景によって顕在化することとなる。
それはダラムサラ郊外のビルという村へアイキャンプ隊の先生と視察に出かけたときのこと。高台を走る道路からは眼下に地平線まで続く田畑が見渡せる。インドのどこにでも広がるのどかな風景。畑の中を二頭の牛(パチュ)が鋤をひいてゆっくりと進み、後ろを農民が追い立てる。手前の畑にも向こうの畑にも、あちらでも耕している。土壁で作られた家が散在し、家の周囲に積み上げられている牛糞は燃料用だろうか。単調な土色の景色の中に、畦道に生える雑草と数本の木々が辛うじて緑色のアクセントを彩っている。何百年と変わらず、そしてこれからも変わらないであろう風景が当たり前に存在していることの奇跡。第二次世界大戦中も、ガンジーが行進しているときも、こうして日常の営みは続いていたに違いない。
この風景が消え去ってしまうとき、世界はバランスを崩して滅びてしまうのではないだろうか。それは核爆弾や地球温暖化による破壊よりもさらに高次元の強い影響力を持っているに違いない。そんな馬鹿げた空想にふけっていると、なぜ自分はチベット医学に惹かれたのかを明確に自覚することができた。薬草を摘み、教典を暗誦し、五感だけで診察する、そんな何千年と変わらない営みを続ける医学。あの牛のように泥臭く、ゆっくりと進む医学に憧れたのではなかったか。この風景を眺めるのではなく、変わらない風景の中の一人になることを願って。
翌日、僕ははっきりと山頂に幟を立てるように同級生たちに宣言した。
「10年後の昇級試験を目指す。そのときこそは必ず一番を取るからな。みんな覚悟しとけよ」
卒業して10年後に行われる昇級試験は、昨年まではメンツィカンで連続勤務していたアムチのみに権利が与えられていたが、今年から改正され、外部からでも受験が可能となった。ただし、10年間アムチとしての活動を続けていたことを証明できるものに限る、とある。その試験に受かるとさらに10年後にも昇級試験が待っている。
よし、生涯をかけてチベット医学を学んでいこう。こんな日本人が一人くらいいてもいいではないか。富山の配置薬で生活費を稼ぎつつ、日本でチベット医学の講座を開催し、年に3ヶ月ほどダラムサラの病院で研修を続ければ受験資格をもらえるだろう。日本人が果たしてどこまで辿り着けるのか、人生をかけた壮大な『ヒマラヤの宝探し』はまだまだ終わりそうにない。
2010年元旦、アイキャンプの先生方は62名の白内障手術に成功した充実感を携えて、そして僕は人生の指針という大きなお土産を胸に秘めて関西空港に帰ってきた。今年も、そしてこれからもよろしくお願いします。
参考:
メンツィカンを卒業するとまずカアチュッパ(十の困難を克服したもの)という称号が与えられる。10年後の昇級試験に合格するとメンランパ・チュンガ(医学・小博士)の称号が与えられる。さらに10年後の試験ではメンランパ(医学博士)が与えられる。さらにその上には定員が5名のハメンパ(ダライ・ラマ法王侍医)があり、アムチとして最高の栄誉とされている。
(お問合せ・お申込みは各主催者へ直接お願いします)
2010年1月16日(土)~6月19日(土) チベット医学・絵解き講座(全7回)
主催:小川アムチ堂 場所:長野県小諸
2月13日(土)14:00~16:00「チベット医学に学ぶ肉体と精神の健康」
主催:トータルヘルスデザイン 場所:東京・浜松町
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