小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
5月2日からのダラムサラ・ツアー中、声明を聴きたいというお客さんのご要望にお応えして夕方の6時半から始まるネチュン寺(第57話参)の読経に参列させていただいた。お寺ではわずか8人ほどのお坊さんが、その名の通りネ(場所)チュン(小さな)に整列して読経が始まる。と、10分ほど経過したあたりで突然、停電になり暗闇に覆われてしまった。随分、減ったとはいえインドでは停電は日常的な一コマ。それでも読経は暗闇の中で一瞬たりとも滞ることなく進められていく。医学にしろ仏教にしろチベットの学問は暗誦が基本であるから電気が消えてもまったく動じることはないのである。
しばらくして灯明が灯されると、お堂の中は太古の昔にタイムスリップしたかのような幻想的な雰囲気に包まれた。僕はこんな変わらない風景がたまらなく大好きだ(第64話参)。電気がない何百年前もチベットの各地のお寺では、こうして灯明に灯されながら同じ経典を同じように暗誦して読経は行われていたのだろう。太鼓とシンバルが鳴り響くなか、我々はチベット仏教の深遠なる歴史に身を埋めて美しい声明を堪能していた。
メンツィカンの学生時代、毎日夜の7時半から1時間、生徒全員で声を合わせて『四部医典』を音読する課目があった。そんな中、当時はよく停電があり、そのときこそ各生徒の暗誦の実力が浮き彫りにされてしまうのは面白いというか、僕も冷や汗を流しながら必死に脳のシナプス回路を最大限に働かせていたものだった。暗誦が得意なゴンポは今こそが見せ場とばかりに大きな声を張り上げてみんなをリードしている。
誰もが完璧なわけではない。それでも25人の学生が力を合わせ、常に誰かが暗誦していることによってチベット医学のバトンは受け継がれ、一瞬たりとも滞ることなく暗誦は続けられていった。いや、決して流れを止めてはいけないという、不思議な暗黙の共通認識が教室を支配していたものだった。もしも止まってしまったならば、チベット医学を学ぶ資格が我々になくなるのではという緊迫感。こうしてチベット医学は電気があろうとなかろうと何百年と受け継がれてきたのである。暗誦によって受け継がれる学問は決して滅びない。チベット医学の真の歴史を実感できた出来事だった。
ネチュン寺へ訪問した翌日、まだ電気の供給が安定しないのか夕食中に停電になってしまった。スタッフが慣れた手つきでテーブルにロウソクを配って灯を燈すと、これもなかなかロマンチックだ。そこで僕が「せっかくですから、ここでマノジさん(インド人のスルーガイド)に怪談話をしてもらいましょう」という子供じみた提案に「もう、そんなこといわれても、困りますよ」と言い終わるやいなや、インドのお化け話が始まりツアー客のみなさんは話に引き込まれていった。
「それでね、インドのお化けはね、内またで、突然、背がグイーーんと伸びるんですよ。私は見たことないですけど、これホントよ、ホント!」。
2年前のツアー中の停電の際には日本の怪談話を披露したのに続き、今度はインドのネタを持ってくるとは、まさにインドの小泉八雲か稲川淳二と呼ぶに相応しい。前のめりで語るマノジさんの顔がロウソクで照らされて一層の不気味さを演出している。風のダラムサラ・ツアーもチベット仏教に負けじと停電によってその魅力が倍増される。
ある環境活動家の方が医学部での講演会で「あと60年後には石油もウランも枯渇して電気がなくなり、X線やMRIなどの医療機器が使えなくなりますよ」と危機を警告したうえでエコ活動の必要性を熱く語られたあとに、突然、僕にコメントを求められた。
「あのー、電気がなくなっても御安心ください。この地球上にはチベット医学が残されています。電気や燃料がなくても歩いて薬草を採取して薬を作って、五感を用いて診断する我々の医学にエネルギーの有無は関係ありません。むしろ早く電気がない世の中にならないかなと願ってますから、みなさん、どんどん電気の無駄遣いをしましょう」。
天の邪鬼な僕の発言に会場は大きな笑いに包まれた。電気がなくなったらどうしようではなく、電気がなくなっても楽しいぞ、という社会を準備しておくほうが僕は建設的なエコだと思っている。いつでもゼロからやり直せる自信がある文化は滅びない。
なによりもこうして電気どころではなく国を失い難民という形になっても、仏教や医学の教えが力を伴って世界中に伝播していくのは、やはり暗誦という文化があるからではないだろうか。暗誦をする民族は滅びない。同じようにダラムサラの風のツアーも滅びない、というのはちょっと大げさかな。
こんな講座・ツアーもあります