メンツィカン1、2年生のころ、カメラ(チベット語でパルチェ)は薬草を撮るためだけに使っていたけれど、本エッセイ連載が始まった2006年、4年生のころから、同級生たちがヒマラヤで奮闘している姿や、テントに戻ってきてほっとしている表情、寮で遊んでいる姿を撮影するようになった。僕も含めて日本人の多くはそんな写真を求めていると思ったからである。だけど、初めのうちはカメラを向けると、必ずピースサインをするか、「ちょっと待てよ」と服装を整えるか、誰かと不自然に肩を組むなどして、自然なショットはなかなか撮らせてもらえなかった。「自然に、自然に、そのままでいいんだよ」と何度も頼んでいるうちに、「あいかわらずオガワは変なやつだな」と呆れられ、ようやくこちらの意図を組みとってもらえるようになったものだった。当時、まだカメラが普及していなかったチベット社会にとって、カメラは記念写真や証明写真のためにあり、ありふれた日常を記録するためのものではないと捉えていたからだ。
バスケットボール大会
薬草実習中のトラックにて
ヒマラヤ薬草実習での料理当番
毛布に包まりながら勉強に励む
教室でのパーティー
学園祭で踊る
僕はメンツィカンの同級生たちに「ルン、ティーパ、ベーケンなんていう高尚な理論や仏教的な難しい話じゃなくて、薬草実習や寮生活の日常を日本に伝えたいと思っているんだ。みんなも外国へ講演に呼ばれたら、自分の学生時代の苦労話をしたほうがいいぞ」とアドバイスを何度もしたことがある。でも彼らにはカメラ撮影同様にピンとこないようだ。「だって、オガワ、日本だったらヘリコプターで山に飛んでいって、機械で刈り取って、ヒーターで乾燥するんじゃないのか。大学寮だってもっと近代的で、それに食事は美味しいらしいな。本当か?」と、まだ見ぬ先進国に憧れをいだいてしまうのも仕方のないことかもしれない。
ちなみに、僕自身、彼らと暮らしているうちに次第にチベット人の感性に近づいてくるようになってしまった。以前は人工的なものを嫌い、「やっぱり自然がいいよね」と田舎暮らしに憧れていたけれど、いまは日本人でありながら日本の最先端技術に憧れをいだくようになってしまった。久しぶりに日本に帰ってくると真っ先に家電ショップに出かけてウロウロしてしまう。携帯電話も持つようになった。以前はほとんど服用しなかった西洋薬も、なぜかしら抵抗がなくなった。そういえば、寮で真夜中に「オガワ、日本の薬を持っているか。熱が下がらないんだ」と叩き起こされたのを思い出す。もちろんチベット医学生たるもの、まずはチベット薬を服用するが、西洋薬を嫌っているわけでは決してない。便利なものを役立てることは悪いこととは思わない一方で、けっして便利なものに執着はしない。そこがチベット人のいいところだ。むしろチベット医学を信奉する西洋人や日本人が極端に西洋薬を嫌い、チベット薬や自然療法だけで病気を治すんだとこだわった結果、手遅れになってしまうケースが多々見受けられる。
たまに同級生たちが外国の研究者からインタビューを受けることがあった。しかし、同級生たちは、その多くの場合において、まるでカメラを向けられると畏まってしまうように教科書どおりの回答に終始してしまうことが多い。欧米の研究者が望むままに、「菩提心」や「精神医学」など美しいチベット医学論を語ってそれがそのまま紹介されてしまう。そうして「服装を整えた集合写真」のような、よそ行きのチベット医学ばかりが外国に紹介されてきた。
でも、記念写真はもう十分ではないだろうか。だからこそ、これからは自然のショットを外国に紹介していったほうが喜ばれると、僕は外国人としてみんなに何度もアドバイスしているのである。カメラを向けられてもマイクを向けられても、どうか素顔のままでいてほしい。ありふれた日常の素晴らしさを伝えてほしい。そして、チベット医学の日常の素晴らしさに気がついてほしい。汗と土にまみれることを自慢し、カビ臭い寮で時には喧嘩をし、恋をしながら暮らした5年間を活き活きと語ってほしい。それは過去のどの神話や教えよりも、ずっとずっと素晴らしい物語なんだから。数十年後、素顔のチベット医学が世界に広まっていますように。
彼らの協力のおかげでこの数年間、たくさんのスナップショットを撮影することができた。腕相撲しているナムトゥル、バスケットをしているノルチュン、クリケットをしているネンジョル、机に突っ伏して寝ているンガワン、暗誦しているゴンポ、バイクに乗っているテンジン、頭を抱えているノルプ、歌っているダクパ……。同級生たち1人1人の1場面が写真として、思い出として心の中に残っている。そんなたくさんの思い出を忘れないようにと作成していたスクラップブックが昨10月、ようやく完成した。題名は最終的に「僕は日本でたったひとりのチベット医になった」になったけれど、草稿での仮題は「チベット医学青春スクラップブック」だった。なぜならこの本の主役は僕だけではなく、同級生みんなだから。そんなチベット医学生たちの青春が詰まったスクラップブックを是非、御一読ください。