メンツィカンにはサッカーとバスケットボールのチームがあり、年に1度行われるトーナメント大会に出場している。大会は5,6月に行われ、インド・ネパール各地のチベット団体から代表チームが集結してくる。1999年のサッカー決勝では地元インド警察が出動するほどの盛り上がりをみせたこともあった。学校単位、職場単位もあれば、クラブチームのようにセミプロが集まったチームもある。だから、学問が本業のメンツィカンチームが勝てる見込みなどあるわけもない。1度だけバスケットボールに出場したけれど、5分で交代を命じられ、日本人の名を汚すに留まったことを懺悔しておきたい。チベット社会には娯楽が少ないせいか、弱小メンツィカンの試合でさえ多くの地元チベット人が詰めかけ、久しぶりにスポーツで緊張感を味あわせてもらったものだった。
チベットの坊さんたちもサッカーが大好きで、1999年に公開された『ザ・カップ(原題・ポルワ)』はまったくの実話といってもいい。2002年、ダライ・ラマ法王直属のナムゲル寺チームが練習試合でダラムサラのグランドに登場した時のこと。エンジ色の僧衣をまとった僧侶の集団が一斉に僧衣を脱ぐと下からは見事な青色のユニフォームが現れて「おおー」と観衆から感嘆の声が上がった。しかも、みんなすごく上手い。坊さんがフェイントで相手を抜き去りシュートを放つ姿は映画よりも迫力があった。ちなみにこの試合の直後、僧侶が公然とサッカーに興じるとは風紀上よくないとのお達しが出されて、坊さんチームは見納めになってしまった。残念。
サッカーのワールドカップ開催中は日本同様にチベット人の間で盛り上がる。2002年の日韓ワールドカップ時は、まさに『ザ・カップ』の内容そのままに、学生全員で大学に嘆願書を提出し、特例としてメンツィカン講堂にテレビが設置されたものだった(僧院同様に普段、テレビは禁止されている)。日本対ベルギーの試合では、試合そのものよりも僕の喜び方や悔しがり方のほうに興味があったようで、シュートが外れたときの「オシイ!(惜しい)」という日本語がみんなのお気に入りとなった。チベット難民の彼らはアジアの一員として日本と韓国を応援してくれていたが、1番人気はブラジルやイタリアなどの強豪国だ。あまりサッカーに詳しくない同級生にいたっては「日本は文明国だから体力なんてないものと思っていたけれど、けっこう頑張るな」とのたまい、僕を憤慨させたものだった。
とはいえ国を失った彼らは日本のように自国の応援で熱くなれることはない。そう考えると、こうしてスポーツに熱くなれるというのは幸せなことなのかもしれないが、いまの日本では熱くなれるものが多すぎて自分のための時間を無駄にしてしまいそうだ。だから、こうして日本を離れた環境のおかげでほどよく一喜一憂できている。
僕はもともとスポーツ観戦が大好きで、ダラムサラ滞在中の10年間、日本から『Number』というスポーツ誌を取り寄せていたくらいである。
2009年3月、アメリカでWBC(世界野球大会)が開催されていたときのこと。野球が大好きな僕は結果が気になって気になって仕方がなかった。診察室を抜け出しては頻繁にインターネットで結果を確認していたのだが、1次リーグで韓国に負けた時、あまりの悔しさに午後の診療を休んでしまったことがある。この精神状態では患者にまで迷惑をかけてしまいそうだった。そして数日後の韓国との決勝戦。インターネットの画面が変わる瞬間のドキドキ感は今でも忘れない。インドのインターネットは遅くてやきもきさせられるのだ。そして「イチロー決勝打」の見出しが見えた瞬間の嬉しさは今でも忘れない。しかし、結局、その後の診察では患者に迷惑をかけそうなくらいハイテンションになってしまったことを考えると、チベット医学にスポーツの愛国心は相応しくないかもしれないと思っている。
『ザ・カップ』
ブータン人が監督を務め、ダラムサラ郊外のビル(タクシーで3時間)という街にあるブータン寺院で撮影された映画。サッカー・ワールドカップを見たさに、小坊主たちがさまざまな策を講じる物語。ちなみに、風の旅行社は2001年に「ザ・カップの舞台を見に行こう」というツアーを催行していたことがあり、これが現在のダラムサラツアーにつながっている。原題のポルワはチベット語で「お椀」という意味でワールドカップの「カップ」と掛けている。
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