私は左から三番目
ときに他人の能力をうらやんでしまうことがあった。スポーツ、音楽、伝統芸能、職人技など、その道で大活躍している人たちは小さい頃から英才教育を受けているがゆえに熟練した能力を発揮できる。それに比べて自分はというと、薬草の学びは23歳からだし(第78話)、チベット医学だって意地悪な見方をすれば遅まきながら29歳から10年間だけ学んだに過ぎない(第59話)。だから薬草だ、チベット医学だと看板を掲げて生きていることに後ろめたさを抱くことさえあった。自分が本当に活かすべき能力はなんだろうか。生まれ育ったなかで自然と身につけた能力はなんだろうか。そんな僕の悩みを、予想だにしない形で解消してくれたのは、ほかでもない、小さい頃からの僕を誰よりも知っている幼馴染のTだった。
同学年でいちばん背が高く大人びているTと、いちばん低く童顔だった僕ら凸凹コンビは小中高校でいつも目立っていた。夏休みや冬休みは、午後になると必ずどちらからとなく電話をし、開口一番「ヒマか?」と尋ね、「遊ぼまいけ」と富山弁で答えるのが「山・川」のような合言葉。そして家が2km離れているにも関わらず、時間がありあまっている僕たちはお互いの家を歩いて訪ねあったものだった。なにしろ呆れるほどヒマだった。当時の田舎には塾や習い事なんていう風習はない。なんにもない田んぼ(チベット語でデシン)の中で、僕たちは何かしら遊ぶことを考えていった。毎日がアドリブの連続だ。そして、どんどん友達を巻きこんでは遊びの輪を大きくしていった。
そうしてヒマを分かち合ったTが昨年7月に交通事故で亡くなった。ヒマ友だったはずなのに、ここ数年、電話で話すだけで顔を合わせていなかったのが悔やまれる。富山での葬儀を終えた後、実家の引き出しの奥に眠っていた小学校の卒業アルバムを開いてみた。「6年1組、我らのチャンピオン」というコーナーがある。僕とT の2人で面白おかしく作ったページだ。クラスメイト1人1人の特徴を挙げながら紹介していく。たとえばTは「身長チャンピオン」、そのほか「読書チャンピオン」「卓球チャンピオン」「なんでも食べるチャンピオン」などなど。そういえばあのとき、最後になっていざ、僕を何のチャンピオンにしようかと2人で考え込んでしまったものだった。あいにく「チビチャンピオン」の座は他の女子に奪われてしまっている。しばしの沈黙のあと「やっぱ、オガチンといえばこれだろう」とTが書きこんだときの笑顔を30年たったいまでも明確に思い出すことができる。そして僕の称号は「ヒマ人チャンピオン」に決定した。
そういえば僕にとってガイドも講演会もワークショップも、メインテーマはTと田んぼで遊んでいたころから何も変わっていない。そのテーマとは「みんなもヒマだね。さあ、なにして遊ぼうか?」だ。なにしろガイドをはじめた2005年のころ、僕はまったくツアー予定表を見ていなかったし、時には風の仕事だということを失念していたくらいである(いまは予定表を確認しています)。集まった人たちの顔を眺めてから「さあ、なにして遊ぼうか」とワクワクする。何にもないからこそ楽しくなってくる。それはきっと、小さいころから遊ぶことの英才教育を受けていたからなのかもしれないと、ようやく気がつきはじめた。
なによりもダラムサラやチベット、ブータンなどの環境は、僕のふるさとと似ているから本領を発揮しやすい。あちらこちらで輪になってお喋りをしていたり、トランプをしたり、ショというチベット双六に興じていたりする光景に出合うことができる。もしも、気が向いたら「すいません、何しているんですか」と話しかけてみてほしい。きっと彼らはお喋りや遊びを中断してお相手をしてくれるだろう。チベット人は優しいねと評判がいいのは、みんないい意味でヒマだからだと思う。そんなチベット社会に身を置いていると出会う人みんなに興味が湧き、話しかけたくなってくるから不思議なものだ。ヒマだと人に優しくなれる。楽しいアイデアが浮かんでくる。
そんなふうに、ふるさと富山とチベットをリンクさせているうちに、きっと僕はいいガイド・講師になれるんだろうなという自信が湧いてきた。イチローも本田も内村も、もう誰もうらやまない。なぜなら僕は戸出西部小学校6年1組の「ヒマ人チャンピオン」だったのだから。そうだろう、T。
(補足)
チベット語では、動詞の語尾に「ロン」をつけることで「~するヒマがある」という意味になります。たとえば「ケチャ(話)・シェ(する)・ロン(余裕、ヒマ)・ユペ(ありますか)」=話をするヒマがありますか? となります。
もしくは「レカ(仕事)メ(ない)」や「トゥツォ(時間)トンバ(空)」が「ヒマだよ」という意味でよく用いられます。
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