「むかし、むかし、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」の柴が、薪にする小枝のことだと、みなさん知っていただろうか。僕は恥ずかしながらずっと「なんで芝生を刈るんだろう」と思っていた。
別所温泉に引っ越して以来、午後は山に柴刈りに行っていることが多い。というと、なにやら流行りのスローライフのように聞こえるかもしれないが、実情は「生きる」ために必死である。たまたま引っ越した古民家に薪ストーブがあったことが事の発端。以前から薪ストーブには憧れがあったので、当初はワクワクしていたが、実際に春先から薪(チベット語でメシン)を用意し、この晩秋、薪を消費してみてはじめて、その大変さが身に沁みてわかってきた。まず、別所温泉の奥にある森へでかけ、熊に怯えつつ、伐採された丸木を手で引っ張って集める。これらは製材用に伐採されたあとの余り木でタダでもらえる。しかし、そのままでは愛車マーチでは運べないので、1mの長さにノコギリで丸太を切らなくてはいけないのだが、これが大変(注1)。車の後部に積んで家に運んだあと、組んで乾かし、電動チェンソーで50センチの長さに切る。次にいよいよ斧の出番で一刀両断、スパーンと割る。この瞬間だけは爽快で『北の国から』のテーマソングが脳裏に浮かぶ。そして、6か月近く乾燥させてようやく薪になるのだが、ストーブであっという間に燃えて熱に替わってしまうのは嬉しいような悲しいような。薪をすべて自給しようとすると、費用は安く付くが、多くの時間を薪のために費やさなくてはならない。つまり、冬のために夏を生きることになってしまうのだ。とはいえ、薪を店で買うと、これまた高い! しかし、その苦労を知っている自分としてはその値段に納得がいってしまう。
薪を集め出してから、山との関係性がすっかり変わってしまった。いままでは山といえば薬草を摘みにいくところ。しかし、いまは、山の恵みの一番は薪で、二番が薬草である。薬草さんたちごめんなさい。でも、信州の寒い冬、薪がなければ死んでしまうのです。事実、戦後、信州の佐久病院に赴任した若月医師は、まず、各家庭にだるまストーブを配布することで病の予防に取り組み成果を挙げている。温もりを与えてくれる薪こそ最高の薬といえよう。昔の信州人たちはきっと、ひたすら薪を集め、そのついでに薬草や山菜を摘んでいたのだろうと想像が膨らむ一方で、チェンソーもなく、運び出す車もない時代、その苦労たるや想像が追いつかない。
丸木をノコギリで切り、斧を振りおろしてみて初めて針葉樹と広葉樹の堅さの違いを体感し、ストーブで燃やしてみて、これまた二つの燃焼時間の違いを体感することができた。もちろん、理科の授業で二つの違いを頭で知っていたが、薪づくりを通してはじめてわかることがある。山や木を見るときに薪の視点で眺めるようになってきた。苦労した甲斐があって、薪ストーブの温もりは石油ストーブの比ではない。そして、火を見ていると心が落ち着くのはなぜだろう。
山の主役は木で、草は脇役である。山の木を適度に伐採し薪として燃やし、結果として森に陽が入り、下草が育ち、草や山菜、キノコが育つ。その意味では、山で薪を作る行為自体が薬草につながっているのかもしれない(注3)。「森のくすり塾」はだんだんと、真剣に森と向かい合う硬派な塾になってきたぞ。さしずめ流行りの半農半Xならぬ(注4)、半薬半薪といえようか。
そもそも、28歳の若き筆者は、こんな生活に憧れてチベット医学を目指したことを思い出した。たとえば、ラダックの伝統医は半農ならぬ半医半牧を活かし、放牧の帰り路に薬草を採取していた(第20話)。山を熟知していることが、薬草の採取、そして医療に結びついている。いまなお、生きる営みの一部として薬があり医学がある。これが僕がチベット医学に憧れを抱いた理由である。
もしも、僕が桃太郎の昔話を読み聞かせをしたならば、「むかし、むかし、おじいさんは山へ柴刈に行って、それがまた大変でね。いいかい、石油ストーブがなかった時代にはね……」と次のフレーズまでが長くなってしまいそうだ。いや、もちろん、洗濯機がなかった時代、おばあさんの洗濯も大変だったと思います。
注1 軽トラックとエンジンチェンソーがあれば、こんな苦労はしなくて済みます。本文中、鼻息荒く山の暮らしを書いていますが、この夏は経験豊富な友人にかなり手伝ってもらいました。大工のMさん、来年も御指導よろしくお願いします。
注3 たとえばオウレンやセンブリという貴重な薬草。
注4 「半農半X」とは半自給的な農業とやりたい仕事を両立させる生き方を指し、「半農半X研究所」代表塩見直紀氏(京都市)が1994年頃から提唱しているものです。
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