「アムチといえば僧侶(チベット語でタパ)」というチベット医学の理想像を体現している数少ない僧医の一人が、同級生のロカ・ダワである。名医を輩出することで有名なロカ地区(ラサ南方)の出身のことからロカと呼ばれている(注1)。朴訥とした性格で、そういえば、メンツィカン5年間の共同生活のなかで怒ったところを一度も見たことがなかった。ヒマラヤ薬草実習でも、製薬工場での勤労奉仕でも、いつも愚痴をこぼさず黙々と仕事を続けるその姿はみんなのお手本になっていた。試験では上位でも下位でもなく、5年間を通じて中位を保ち続けたのも彼らしい。そんな彼は2008年に卒業後、標高4500mの無医村に派遣され、過酷な環境のなかでいまも地道に働き続けている。まさに僧医の鏡のような存在である。とはいえ、彼のような僧医はメンツィカン所属のアムチ160名のなかで、たった7名だけだというと意外に思われるだろうか。
たしかに、1959年以前は学識者が僧侶にほぼ限られていたこともあり、必然的に僧侶が医師になるケースがほとんどだった。1961年にメンツィカンが再建されたときの第一期生8人は僧侶だった。その後、1980年代、チベット医学が密教や神秘思想とともに欧米に紹介されたために「アムチは僧侶」というイメージが定着したようだ。しかし、TCV(第42話)の発展とともに一般社会への教育が普及すると、僧侶であることの必然性は低下し、2006年の入学者から僧侶枠を廃止するに至っている(注2)。おかげで現代医療と融合しやすいというメリットを得られた一方、僧医が減れば減るほど意外な問題に直面することになってしまった。それは人事異動である。
アムチが一人辞めたり、移動を希望するだけで、インド・ネパール国内にある55の分院の人事異動は「トコロテン式」に紛糾する。分院を新しく増やすとなれば、若いアムチよりも経験豊富なアムチを最初に派遣して地域からの信頼を得たいところである。ところが、現在、ベテランアムチのほとんどは妻子を持ち、子供が地元の学校に通っているため、そう簡単に動けない。辺境の地への赴任も現実的には難しいだろう。その点、ダワのように独身の僧侶ならば(注3)、しがらみも荷物も少なくて移動を命じやすい。
たとえば、ベテランのタエ僧医は2011年4月に、突然インド北方の秘境ラダック(第137話)へ赴任を命じられると慌ただしく体一つで引っ越した。と思ったら1年も経たないうちにダライラマ法王侍医に任命されて、突然戻ってきた。僕と同級生の尼僧チュゾムはインド東部、ミャンマーとの国境付近の病院に派遣されている。3年ぶりに再会したとき、肌はボロボロに荒れていて栄養不足ではないかと心配になった。先輩の僧侶アキョンは遠く離れたロシア・ブリヤ-トの医学校(第95話)に教師として派遣されて12年が経過した。いまではロシア語がペラペラになり、こちらは意外と楽しんでいるようだ。親友のジグメ(第2話)はダラムサラの製薬工場で指揮を執る一方で、毎週日曜日にはボランティアで休日医を務めていた。そして2013年からはモンゴルの病院に派遣された。これも僧侶であるがゆえである。第9話もタムチュが僧侶だからゆえに生まれた美談である。
とはいえ、2011年のアムチ会議でダワに再会したとき、「山の中にひとりでいると寂しくて学ぶ意欲が薄れていくんだ。70歳になっても尻を叩かれながら仏典を学び続けていることが僧侶としての理想なのになあ……。オガワはどうせ、いまも勉学を怠っていないんだろう」とため息交じりに語っていたのだが、もしかしたら、彼から聞いたはじめての愚痴だったかもと思い当たった。
僧医曰く「僧院のなかで、みんなと一緒に修行するのは何の不都合もない。でも、僧院を出て、独立した形で僧侶の戒律を守り続けるのはとても難しい」と語るように、俗世間のなかで僧侶としての戒律を守り続けるのは周囲が思うほど簡単ではないようだ。事実、メンツィカン卒業後に還俗(僧侶を辞めて俗人になること)する僧医は少なくない。そして少なくなればなるほど残された僧医たちへの期待と負担は重くなる。
いま、メンツィカンでは僧侶枠に関して活発に議論が重ねられている。「アムチは僧侶であるべき」という理想像を遵守していくことも対外的に大切であろう。しかし一方で、理想論だけに偏りすぎず、こうした内情を外部のみなさんに知ってもらったうえで御助言をいただければ幸いである。そして、いまも僻地で頑張っているロカ・ダワをはじめとしたメンツィカンの僧医たちに思いを馳せていただきたいと思っている。
注1
ダワやタシなど、チベット人は同じ名前があまりにも多いため(第131話)、出身地名をつけて区別することがある。
注2
2012年に僧侶枠が復活した。なお、本稿は2012年の10月時点での状況を基にして執筆した。それ以来、ダラムサラを訪れていないのでメンツィカンの現況を正確には把握できていない。
注3
チベットの僧侶は特別な場合を除いて妻帯は禁止されている。ちなみに「医師は僧侶であるべき」のような文言は四部医典には記されていない。
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