(4月23日から5月6日まで、風の日本語ガイドのスタンジンとともにラダック各地の伝統医を訪ねました。今回は「ラダック伝統医を訪ねて」シリーズの第5回、最終回です。)
ラダックの中心都市レーの街に、毎朝4時半ころ拡声器でコーランが大音響で響きわたったのは、正直、驚かされた(注1)。チベット仏教の街と思い込んでいたレーの街には、意外にもイスラム教の人たちがたくさん住んでおり、仏教徒のラダック人と共存している。裏路地に入るとイスラムの人たちのパン焼き工房が軒を並べていて、中世の人々の営みを彷彿とさせるこの通りの賑わいが僕は大好きだった。ただ、なにも拡声器を使わなくてもいいのではという恨み節のいっぽうで、夢うつつながらに耳にするコーランのおかげで、いつもにも増してレ―のホテルに滞在中は(若干の対抗意識とともに)朝のチベット仏教経典の読経に力が入ったものだった(第143話)。
レーの街のお土産やさんに足を踏み入れると、ラダック人のおばあさんがカウンターで読経をしていた。失礼ながら商売気がほとんど感じられず、お決まりの「ジュレ―」のあいさつもなく、目配せだけであいさつは済まされた。そのとき僕は土産物のショールの棚よりも、おばあさんが大切にしている年季の入った読経本に関心が向いた。ラダックの寺院ではもちろん、街角でも、なにげにこうした仏教の読経の風景と、耳をすませば、どこからかかすかな読経の声を聞くことができる。
やっぱり僕にはコーランよりも仏教の読経の風景のほうがしっくりとくるな。そして僕たちは帰国の前日、おばあさんの店でヤク毛のショールを購入した。
チベット社会と日本社会の大きな違いのひとつに読書と読経の習慣があげられる。日本人は電車や、余暇の時間に小説や雑誌、教養本を読む習慣があるが、チベット文化には基本的に読書を楽しむという習慣はない(注2)。アムチが来日した際、いちばん驚いたことは電車のなかで多くの日本人が読書をしていることだったと語っていた。そのかわりチベット人やラダック人は、同じ経典を何度も声に出して読経(チベット語でシェルドン)する。だから一冊の経典さえあれば、いつも充実した時間を過ごすことができるのだ。つまり、ラダック人は同じ物語りを何度も読み込む。いっぽう、日本人は常にあたらしい物語りを求めているといえる。
ラダック到着から4日目、レ―から車で4時間の場所に位置するティンモスカン村の伝統医タシ家をふたたび訪れた。僕がこの村を訪れるのは2001年、2013年(風のツアー)に続いて3度目になる。携帯電話が普及したことを除けば、あいかわらず風景は以前と、いや、たぶん、大昔のままで何も変わっていない。なにしろ、昨今、雪豹が村の家畜を次々と襲ったことが大きな問題になるほどに大自然のなかに位置づいている村である。そして、以前と同じように、いや、たぶん、何百年も前からこの村ではそうであったように、アムチ(伝統医)であるお父さんの読経の声が響いていた。孫の世話をしつつ、診察室で朝から晩まで読経を続けている。孫たちはこうして祖父の読経の声を聞きながら大きくなっていくのだろう。一家が総出で畑を耕しているなかで、祖父は家族の大切な役割をひとつ、そして、アムチとしての役割も確実に果たしているといえる。あいにく前回、前々回に続いて今回も患者を診察する場面には出会えなかったけれど、今回もまたアムチの大切な心得を学ぶことができた。
後日、レ―近郊のニンム村でホームステイをしたときのこと(前号参)。なにもない質素な部屋で妻は般若心経を日本語で読経し、僕は四部医典をチベット語で読経しながら夜を過ごした。読経の習慣のいいところは、重たい本を何冊も持ち歩かなくていいところにある。同じ音が繰り返し、繰り返し、街や村に響きわたる。荷物が少なくても豊かな暮らしができる秘密が、ラダックの人たちの読経文化にあるような気がしている。「もっともっと」ではなく「もともと」の文化がそこに息づき、そして、アムチとはそんな文化にこそ生まれてくるものではないかと、僕は考えている。
注1
風の旅行社のツアーで滞在するホテルは街の郊外にあるので、残念ながらコーランはほどよく耳に聞こえる程度です。また、正確にはコーランだけではなく、イスラムのお経の一つだそうです。
注2
英語が堪能なラダックの若者たちは、英語の小説を楽しんでいます。
参考
ラダックでは般若心経、もしくはターラ二十一礼賛経がよく読まれます。
リンク
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