絵解き図に登場する蛇
巨大なアオダイショウが実家の廊下を這っていく、その生々しい光景は40年が経過したいまでも脳裏に焼きついている。兄は蛇の尻尾をつかむとグルングルン振り回しながら僕を追いかけ、僕は泣きながら逃げ回った。蛇がトグロを巻いていると、両手の親指を隠して視線を合わせずに通り過ぎなくてはならない掟があった。こうして振り返ってみれば幼少期から蛇に囲まれて育ってきた。だが、いまもむかしも蛇は大の大の苦手である。それでいてマムシにまつわる話を全国各地の古老たちから聞くのが好きなのは、たぶん怖いもの見たさの好奇心ゆえであろう。いつも同じ話になるのはわかっているのだが、そのたびに「えーー、マジですか!」と驚くとともに、その度にやっぱり自分は現代っ子なんだなと、いい意味での自覚が生まれてくる。
蛇の脂肪
たとえば「森のくすり塾」がある野倉集落のおじさん(おじいさん)たちは総じて蛇はもちろんマムシですらまったく恐れない。それどころか追い求めている。なんでも昔はマムシ、特に赤マムシを捕まえるといいお小遣いになったと楽しそうに語る。時代と地域にもよるが一匹3000円のときもあったらしい。昔、具体的には40年前までのこと、マムシを見つけたら頭を枝ではたくかさっと頭を足で踏みつける。そしてマムシの頭をつかんで水瓶に入れて排泄物を出させたら次に焼酎の瓶にいれて浸ける。滋養強壮には最高らしい(注1)。マムシの皮を火傷に貼ると速くきれいに治ったという。漢方ではマムシを乾燥させたものを反鼻(はんぴ)といい、やはり滋養強壮に重宝される。ちなみにマムシ毒は噛まれたら大変だが内服すれば胃酸で分解されて毒は発揮されない。また薬としてだけでなく、蛇は貴重なタンパク源としてウナギのように蒲焼きにして、やはり40、50年前までは日常的に食べられていた。確かに考えてみればウナギと蛇の姿は紙一重だ(注1)。
蛇の皮
ここでちょっとチベットに舞台を移したい。チベット語で蛇はドゥル。仏教では心の三毒の一つ「怒り」の象徴とされている。八世紀に編纂された『四部医典』には「蛇肉は血の塊を分解し、難産、眼病、に効果がある。蛇の皮は白なますと象皮症を癒す(釈義タントラ第20章)」と記されている。しかし現代のメンツィカンでは蛇に限らず動物性生薬は仏教の精神に基づきほとんど使用していない(注2)。秘訣タントラ第89章にはサソリ、狂犬病とともに蛇に噛まれたときの対処法が詳細に記されている。また「はっきりと病を診断できないならば、蛇の二枚舌のように患者に病名を告げなさい。(同上第31章)」と診断法が蛇に喩えられているのは面白い。これらのことから蛇が薬用ではないにしてもチベット人にとって身近な存在であったことがわかる。
たしかに僕はメンツィカンでは植物部門において最高の実践を学ぶことができた。しかし熊やマムシを薬にする術(すべ)は学ばなかったし、たぶんこれからもできないと断言したい。なにしろ想像しただけで足がすくんでしまう。だからマムシを薬に用いていた世代の人たちを前にして、薬(くすり)について雄弁に語ることはできない。それは、どんなにチベット語が上達したとしても、絶対にチベット人と同じように話せないことと似ている。
古代の薬師(くすし)から現代の薬剤師も含め、薬に関わる人たちを総じて“くすりびと”と名付けてみたい(第102話)。そのとき最高のくすりびとは熊胆を獲得できる猟師さん(第217話)。その次にマムシを捕まえることができる人がランクされると僕は思っている。この人たちこそ最高に頼りになる“くすりびと”だ。その次、三番目としてキハダを山で見つけ、伐り倒し、薬を作ることができる能力を挙げたい(第174話)。僕はようやくここにランクインされるが、それは“くすりびと日本国内総合ランキング”において、たぶん500位以下ではないだろうか(注3)。
薬草の智慧とは本で読んだだけで得られるものではない。「ナチュラル」「身体に優しい」などの響きのいい言葉でもない。それは、荒々しいまでの野生的な力を、それを凌駕する荒々しい勇気をもって感謝とともにいただくこと。僕はそんな力強く、それでいて大自然の片隅に忘れさられそうな“智慧”にあこがれている。
注1
群馬県太田市にある「ジャパンスネークセンター」ではマムシ料理を食べることができる。
注2
食料廃棄物としての牡蠣の殻、蟹の甲羅が薬材として使用されている。
注3
熊胆の有効成分ウルソデオキシコール酸、またキハダの有効成分ベルベリンは現代薬のなかにおいても認められた存在である。しかしマムシは現代薬の分野において認められた存在ではないことから、薬効に関していえば熊胆、キハダほどの説得力は持ち合わせていない。ただ、それはデータによる説得力がないだけであって、薬効の強さのほどはいまだ未知数というのが、現時点におけるマムシ効能に関する正確な表現方法である。少なくとも日本各地で受け継がれて来た民間伝承薬であることは確かな事実である。
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