「家栽の人」という漫画を御存知だろうか。家庭裁判所の桑田判事が草花を通して、悩める人々を柔らかく、さりげなく癒し、揉め事を収めていくという全15巻、約140話のヒューマンドラマ。各話の題名は「ヒトリシズカ」「ユリ」などの草花の題名で記され、物語の中のどこかで登場人物の心にリンクするようになっている。ダラムサラに渡る前の26歳のころ、薬草に関わる仕事としていたこともあり、一層、物語を身近に感じつつ何度も読み返したものだった。
もう、すでにお気づきの方もいるかもしれないが、「ヒマラヤの宝探し」のコンセプトは「家栽の人」をそっくり真似させていただいている。ヒマラヤの薬草を通してチベット医学の魅力を伝えたい。桑田判事のように人の心に劇的な変化をもたらすことができなかったとしても、薬草が読者の心にリンクしてワクワクしてくれればいいなと願いつつ、各話の題名をチベット語の草花で飾り続けた。ツェルゴン、ホンレン、タンクン……。音楽を聴くと当時の思い出がよみがえるように、それぞれの薬草にそれぞれの場面や友人が思い浮かんでくる。また、自分の「こうあるべきだ」という主張も薬草でいったん包むことで、不思議と謙虚になり控えることができたものだ。恥ずかしながら実際の自分はもっと我が強いけれど、薬草がちょうどクッションのような役割で読者に思いを伝えてくれている。クッションといえばヒマラヤの岩場の上に丸く貼りつくクッション植物ツァ・アトンを思い出した。もしこの岩に頭を打ち付けても、ほんとうにクッションのように守ってくれそうなこの植物は、種子が落ちてから花が咲くまでに10年の歳月を要するという。厳しい自然環境の中、花を咲かせることよりも根を大きく発達させることに費やされるためである。そういえばダラムサラで過ごしたのも10年だったな……。果たしてチベット医学の学びを通して、僕は大地にしっかりと根を生やし、クッションのように柔らかい心を持った人間に近づけたのだろうか。
そしていま、エッセイを通してだけではなく、実際にダラムサラや小諸、チベット、ブータンなどの森の中で薬草、木々、川の音を通して人々に触れ合うことを仕事とするようになっている(第101話)。でも桑田判事のようなヒューマンドラマ系ではなく、お笑い系になってしまっているのは御愛嬌。海の話は海で、山の話は山ですると盛り上がるように、チベット医学を語るには大自然の中が相応しい。つい100年前、その時代までは一千年以上に渡ってそうして伝えられてきたように、マイクなんて使わず肉声で思いを届けられる環境が僕は大好きだ。現代文明に少し疲れた人たちが、太古の時代の雰囲気や知恵に触れて、そしてまた現代社会で生きる活力を得てほしい。それは転地療法ならぬ転時(代)療法と呼べるかもしれない。
現代医学はもちろん、いわゆる東洋医学も代替医療もこぞって、治療結果の向上を求めて上へ、上へ進んでいる。医療のベクトルは全てにおいて進歩の方向を向いている。そんな時代に、あえて「治った」「痩せた」「若返った」という概念を離れ、原点へ、原点へと向かっていく医学が一つくらいあってもいいのではないだろうか。それは「治す」ことを放棄したわけでは決してないし、チベット医学にも上へ向かうベクトルは存在している。ただ、いまの日本に欠けているのはツァ・アトンのように根っこへと向かうベクトルであり、それこそがチベット医学が太古から守り続けてきた貴重な財産ではないか。
薬草を通して大地に根ざす役割をチベット医学が担うことで現代の医療社会がどっしりと安定するかもしれない。忙しい医師や看護士たちにはできない、ある意味クッションのような役割をアムチが担うことで医療の大輪が完成するのではないだろうか。そして、そんなアムチの役割を日本の薬剤師が担えないだろうかと考えている。だから、僕はいま、アムチとして、薬剤師として日本の薬学部の教壇に立ちたいと意気込んでいるところである。
「家栽の人」のように、いつの日か薬剤師が薬草の物語をとおして人を癒す映画ができないものだろうか。題名は「くすりびと」ではどうだろう。その際は、僕を主役で……とはいわないけれど、せめて脇役で登場させてほしいと夢みている。
「ヒマラヤの宝探し」が本になりました!
『僕は日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと』
泣ける、笑える、チベット医学奮闘記。神秘の脈診、一年で一度だけ、満月の光を取り込んだ薬・月晶丸、全チベット人の祈りがこめられた高貴薬。神秘のチベット伝統医学を学びにいった著者が出会ったものは……。 「ヒマラヤの宝探し」の内容を時系列に沿って組み直し大幅に加筆しました。是非、御一読ください。
発行・発売:径書房
詳しくは → 『僕は日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと』(amazonのサイトへ)
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