ナムゲル・ツェリン先生の授業が僕は好きだった。一語、一語、確かめるようにゆっくりと語ってくれるので、外国人の僕にはとても聞き取りやすかったことが一つ目の理由。もう一つ、1979~2001年まで22年間にわたってメンツィカン製薬工場で指揮をとっていたことから、他のどの先生よりも製薬(チベット語でメンジョル)に関して造詣が深かったことがある。そんな先生は患者を治療した体験談のあとには「おっと、みんな勘違いしないでくれよ。いまのは、私が医者として凄いという自慢話では決してないからな。医者が凄いのではない。いつだって患者を治すのは薬なんだ。薬が素晴らしいのだ」と慌てて付け足していたものだった。少しムキになりながら語る先生のこの台詞が僕は大好きだった。
ナムゲル・ツェリン先生
先生は1957年生まれ、チベット本土の西部・ンガリ地方の出身。1967年にネパールに亡命しチベット人の学校で学んだ。1973年にメンツィカンの第3期生として入学。校舎を建てるために石や土を運んだ苦労話は授業中に何度も、耳にタコができるほど聞かされた。当時、午前はチベット医学聖典『四部医典』の講義を終えると午後は製薬工場で働かざるを得なかったというから、なんとも羨ましい。なにしろ僕達の時代(2002~2009)には学生が許可なく製薬工場に出入りすることを禁じられていた。しかも研修医時代の指導医は伝説の名医イシェー・ドンデン先生(第140話)だったというから、ただ、ただ羨ましい。そして長年に渡る工場勤務の後、2002年、僕の入学と同時に教育部門の校長に就任し自ら教壇に立った。ところが、特に僕に対しては、ただでさえ強面の顔をさらに怖くして接しているのがわかった。当時、メンツィカンの教職員は若くて温厚な人が多かったため、32歳の僕にどう接していいのかわからない戸惑いがあった。だからこそ、外国人だからといって特別な意識を持たせないために……といまだから美談のように回想しているが、2004年当時、正式な製薬実習はなかったために、僕が先頭に立って要望を出して先生と衝突したのは振り返ってみればいい思い出である(第16話)。いずれにしても僕の同期生たちの多くが製薬工場での勤務を希望したのは先生の影響であろう。あいにく各学年に一つしか枠はないのだが。四部医典・「医師の心得の章」には次のように記されている。
医師の手段とは、身口意の三つによって実践される。
身、つまり手によって、薬と医療器具を作ることに優れていなさい。
口、つまり心地よい言葉で患者を楽しませなさい。
意、つまり聡明な智慧で、意識を明晰に保ちなさい。
日本においても江戸時代までは医師は薬師(くすし 第56話)と呼ばれたように、薬の原料を調達し調合することも大切な仕事だった。1873年に医師法が制定されると医薬が分業され基本的に医師は製薬から解放された。あれから115年。現在、日本の医学部において、6年間のカリキュラムのなかで製薬に関する授業は存在せず、薬に対する医学部生の当事者意識は極めて薄くなっている(注)。仮に現代薬であっても石油(炭化水素)から合成される過程を学び体験することで、薬との結びつきを強めることはできる(第197話)。とはいえ過密を極める医学部教育の現状を考えれば、これ以上の学習課題を望むのは無理というもの。ただ「薬の原理について学んだ方がよさそうだ」という問題意識だけは抱いていてほしいと願っている。いっぽう薬学部教育においては臨床・診断に関する授業はほとんどなく、医師と薬剤師のあいだでは完全な分業体制が確立してしまっている。そのため医師と薬剤師は共通の経験、話題に乏しく、親密なコミュニケーションをとるのは(一般の人たちが想像する以上に)難しい。いっぽう分業の概念がないチベット医学では、もちろんこんな問題は生じ得るはずもない。薬に対する当事者意識は極めて高く、その性質を熟知しているがゆえに細かな応用が効く。その意味ではナムゲル先生は「チベット医学の長所」の象徴だったといえる。
僕はすべてを自分たちでやらざるをえない時代、いま、ここで歴史を作っている時代が好きだ。だから、いま「森のくすり塾」の黎明期として、木を伐り、石を運び、薬を作り、あのとき憧れをいだいたナムゲル先生の時代を再現していることに、ささやかな充実感を覚えているところである。もしかしたら先生の苦労話によってできた耳のタコのおかげかも、と考えるのは少しロマンチックすぎるだろうか。
先生は僕の卒業と同じく2009年にメンツィカンを退職され、現在は家族とともにアメリカに在住されている。もしも、どこかでお会いすることがあったら、先生ははじめて僕に笑顔を見せてくれるような気がしている。先生、お元気ですか?
注1
そもそも医学部生の多くは高校時代に生物の科目を選択しており、化学を苦手としている学生が多いという問題がある。また、医学部では薬の授業はないが、普段の臨床の授業において付随的に「こんな症状には○○の薬を処方する」と教授されることで薬の処方例を学んでいる。また、薬理学の授業と薬の効果効能(エビデンス)を理解するための統計学の授業はある。
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