まだ手を入れていない森があった。そこは店舗から約500m離れた飛び地で、広さは40m×70mとなかなか広い。もとは畑だったが50年間放置されていたために樹木が生い茂っている。多い順に並べるとクヌギ、ヒノキ、赤松、カラコギカエデ、ケヤキ、ウリハダカエデ、クルミ、コナラとなる。自然に生えてきたクヌギは高さ20m近い老木になり、50年以上前に植樹されたヒノキは枝打ちをしていないので下枝が伸び放題。同じく赤松は松枯れ病によって枯れはじめている。そしてそれぞれの樹木には藤(ふじ)の蔓が大動脈のごとく絡みついている。現在の日本の森を象徴する荒れた森の姿である。統計によると所有者不明の森と耕作放棄地を合計すると概算で九州ほどの広さにもなるという。
その森を「よし、やるぞ!」と計画的に手を入れ始めたわけではなく、大好物の椎茸の原木を得るためにクヌギを2本だけ伐ろうとしたのが切っ掛けだった。それは2020年2月中旬のこと。しかし樹木が密集しているために安易に伐採すると他の木に引っ掛かってしまう(掛かり木)。したがって目的のクヌギを伐るために安全な木から順に伐採していくのだが気がつくと5本の木を伐採していた。改めて森を眺めるとはっと気がついた。空が広い……。このときはじめて「よし、この森を整備しよう!」と(当初の目的である椎茸はさておいて)スイッチが入ったのであった。それはコロナ禍の深刻さが日本社会に徐々に広がりはじめていたとき。来店客は途絶え講演はすべてキャンセルになったけれど、おかげで作業に集中することができた。
まずはハシゴが届く範囲でヒノキの下枝を見よう見まねで鉈で落としてみた。下枝を落とすとヒノキはふたたび成長をはじめるという。でも製材できるほど太くなるにはまだ20年はかかるというから昔の人たちは気が長いはずだ。こうして素人ながらに手を入れると手を入れただけ変化がはっきりと現れる。だんだん森の中に日が差してくるのがわかる。ちなみにチベットには背丈が低い高山ヒノキが生えておりシュクパと呼ばれる。香りが強く主に薫香の材料に用いられている。
一つの景色が変わると気になる場所が次々と出てきた。妻は大きな熊手でひたすら落ち葉と枝をかき集めた。一番太いクヌギを伐るときは若手の器作家に声をかけて一緒に伐り倒した。そのクヌギは彼の手によって素敵な器(うつわ)に生まれ変わった。かつてはクヌギで炭を作ったというが今後の課題に取っておきたい。落ち葉をかいて綺麗にすると赤松の周りに松茸が生えてくるかもしれないと教えられ、がぜんやる気がでてきた。森の風景がだんだん変っていく。これはなんだろう、最高に楽しくて作業の手が止まらない。
その楽しさがフェイスブックから伝わったのだろう。3月初旬、風の旅行社スタッフが代わる代わる手伝いに来てくれた。さすがモンゴルなど辺境の地を専門としているだけあって初体験のチェンソーを難なく使いこなす。子どもたちは薪を割り、クヌギに椎茸の菌種を打ち、そしてハンモックでのんびりしていた。そうそう、ハンモックが似合う森になった気がする。なおも作業の手が止まらない僕を「それ以上伐ったら森が草原になっちゃうよ」と妻が冷静に制することで、ようやく気持ちが落ち着いた。
そのとき久しぶりに畑の身回りにきた古老が勢いよく走ってきた。「うわ、なんかやっちまったか。怒られるのか」と緊張したのは今となっては笑い話で「おい、綺麗にしたなあ」と破顔一笑。50年前を知り、50年間荒れていく様子をずっと見守っていただけに感慨深い様子がひしひしと伝わってくる。森に人の手が入り、昔の姿に戻ることがこんなにも喜ばれるとはちょっと意外だった。「ところで、ここを何にするんだ?」と尋ねられて答えに困った。特に目的はないけれど、たぶん何かの役に立つだろう。とりあえず日本国内の荒れた森の面積が、ほんの少しだけ小さくなったと想像するだけで自己満足に浸ることができた。
里山と関わる。すると会社(資本主義経済)に帰属がなくとも大自然に帰属しているという安心感を得ることができる。同じことを以前から感じてはいたけれどコロナの影響で経済活動が完全に止まり、森や畑とまっすぐに向き合わざるをえなかったこの3カ月の経験をとおして、心からそう思えるようになった自分がいる。