第319話 バルド ~中有(ちゅうう)~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

「ツェリン・バルダンよ、よくお聞きなさい」

25年前も前に一度視聴しただけなのに、あの独特のゆっくりとしたナレーションはいまも耳に残っている。1998年、北インド・ダラムサラへ向かう直前にDVD『NHKスペシャル チベット死者の書』を視聴し、輪廻転生の世界に魅了された。

チベット語原本と日本語訳
チベット語原本と日本語訳

人の意識は死んでから49日間、中有(ちゅうう)と呼ばれる場所に滞在する。中有はチベット語でバルドといい、14世紀に起源を有する『バルド(中有)トォ(聞く)ドォル(解脱)』すなわち『中有において聞いて解脱する』は、死者の枕元で「よく、お聞きなさい」と語り聞かせることでさまよえる意識を正しく導いていく案内書である。これが1960年代にアメリカ人のエヴァンスによって英訳され、エジプトの『死者の書』に倣って『チベット死者の書』(以下『死者の書』)と命名された。そしてアメリカのヒッピー運動(自然回帰運動)において聖なる書として崇められることで脚光を浴びる。1993年、NHKスペシャル『チベット死者の書』が放映されたことで、アメリカに遅ればせながら日本でチベットブームが起こった。そうした一連の流れのなかでアメリカ人トム・ダマーによって『チベット医学』が1984年に著され、1994年に邦訳されることで僕はチベット医学の存在をはじめて知ることになる。その意味では『死者の書』はその教義を学ばなくとも間接的に僕に大きな影響を及ぼしたといえる。

ラダック・ティンモスガン ラダック・ティンモスガン

しかし『死者の書』は海外でこそ有名であれ、ほとんどのチベット人にとっては馴染みの薄い文献であることをチベット社会で暮らしてはじめて知ることとなる。密教まで修めるほどの一部の僧侶が学ぶ以外、一般のチベット人は触れることはない。それでもチベット文化圏の辺境に位置するラダックのタール村ではたしかに『死者の書』が生活に根付いるようだが、チベット文化圏では特殊な事例に相当する。むしろ欧米、日本で脚光を浴びることで逆輸入的に多くのチベット人の知るところとなった側面が大きい。ちなみに日本にも同じく死に際しての手引きとなるお経が存在し、枕元で読まれることから枕経と呼ばれる。

ダラムサラに滞在中、『死者の書』に興味津々の日本人旅行者をチベット僧侶に紹介したことがあった。僧侶は「般若心経やターラ菩薩経など故人の生前において馴染みのあったお経を耳元で読んであげたほうが効果的でしょう。私は『死者の書』を正式に学んでいませんし、そもそも『死者の書』だけが特別な存在ではないのです」と答えてくれ、それを「なるほど」と納得しながら通訳したことを覚えている。

こうした事情はチベットに限ったことではない。たとえばダラムサラを訪れる西欧人から「ミヤモトを知っているか」と問われたことが数回あり、当初はどの宮本さんのことかと思ったら宮本武蔵のことであった。東洋思想に憧れる西欧人にとって『GORINSYO(五輪書)』は人気の書物である。またインドを旅している西欧人から「スズキを知っているか」と問われた場合、イチローや自動車のことではなく、アメリカにZEN(禅)を普及した鈴木大拙禅師のことでほぼ間違いがない。

そもそもチベットでは死をそれほどにはドラマチックに捉えない。いっぽう日本では映画、小説、ドキュメンタリーで死をドラマチックに扱い、そのたびに視聴者は「死」をわかったような気になる。それでいて「死」についておおっぴらに語ることは禁忌とされている。しかしチベットでは『死者の書』だけに限らず毎日のようにお経のなかで死について唱え、「千里の道も一歩から」のごとく地道に日々、死に馴染んでいく。たとえばメンツィカンで毎朝読経し、現在も毎朝読経している「功徳の基盤」には次のような偈文がある。

身命の移ろうは水泡の如く
忽滅する死を想起し
死後も身と影の如く
白黒の業果はつきまとう

2000年、メンツィカンの先輩タシの実家があるラダック・ティンモスガンを訪れたときのこと(第20話)(注1)。棚に日本製のはしが飾ってあることに気がついた。ずいぶんと前にカメラを持った日本人グループが数日間宿泊したときの手土産だという。もしやと気がつき、ドキュメンタリーの内容を教えると、「ああ、その映画に登場する転生者ゾッパさんの実家ならすぐそこだよ(注2)」とタシが教えてくれた。思いもかけずブラウン管の向こう側の世界に入り込んでいる不思議。同時に遠い世界の『死者の書』は、僕をチベット医学へと誘うその神秘的な役目を終え、僕にとって現実的な、それでいてまだ手の届かない高尚な『バルド・トォ・ドル』として位置づくこととなった。

ティンモスガンにて ティンモスガンにて
畑を耕すタシ 2015年 畑を耕すタシ 2015年

注1

ラダック・ティンモスガンを訪れたときのこと
第20回●「ド」ラダックへの旅
2014年にティンモスガンを再訪したときの記事
伝統医学のそよ風 〜ラダック・ティンモスガン村より〜

注2

1982年、ラダックの首都レーで行われたデモに参加していたランツォク僧侶は右足の付け根に銃弾を受けて死亡した。2年後にティンモスガンに誕生したスキッジョル(後にゾッパと改名)はランツォクの転生者として認定された。彼は生まれながらに右足付け根に痣があった。

参考文献

『チベットを知るための50章』(石濱裕美子 明石書店 2004年)
『チベット死者の書―仏典に秘められた死と転生』 (NHKスペシャル) (河邑厚徳・林由香里 NHK出版 1993年)
『NHKスペシャル チベット死者の書』 [DVD]

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4月19日(水) どんなところ?「インドのチベット」ラダック&ザンスカール

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