紅茶キノコ、納豆、ココアブームなど健康法に対する日本人の熱狂性は高度経済成長以降の現象かと思いこんでいたら然に非ず、意外と歴史が深かった。たとえば1680年ころ、海外から輸入されるミイラが万病に効くとして大ブームになり「男女ともミイラ飲まぬ人なし」と文献は伝えている(注1)。1712年には貝原益軒の『養生訓』(1712年)が出版されベストセラーになった。西洋から印刷術が伝えられて出版業が盛んになったことに併せて、民衆の識字率がすでに高かったことが要因として挙げられる。個々にではなく、数となり群となって健康法をダイナミックに展開する姿勢は江戸時代にすでに生まれていたのである。
そして明治時代になり「養生」に代わって「健康」という単語が生まれる。大正時代から昭和初期にかけて健康の増進をうたうさまざまな商品や施術、書籍が人気を得ており、「健康法の黄金時代」と評される(注2)。1935年ころには婦人雑誌によってカキドオシが取り上げられ、体質改善に効くとしてブームになった。戦後復興が進んだ1960年ころからは「壮快」「健康」など雑誌の隆盛とともに紅茶キノコ、コンフリーなどが癌に効くとして健康の大ブームがおこり、かくいう僕の名前「康」は健康に由来し、康子など同世代に多く見つけることができる。また戦後復興のなか、子どもたちに健康の意識を根づかせるために、全国をあげて健康優良児と健康優良学校の表彰がはじまり、僕の小学校6年時(1982年)に戸出西部小学校は日本一に輝いた(注3)。そうして健康への意識を国民全体で高めたからであろうか、日本の平均寿命は1978年に世界1位になって以来、上位を保ち続けている。
ここで興味深い事例を紹介したい。日本では60年に一度巡ってくる丙午(ひのえうま)の年に生まれた子は幸せになれないという俗説(迷信)があり、実際に1966年の出生は極端に少なくなっている。ところがその(科学が発達する以前)60年前の1906年の丙午は出生率が下がったけれどさほど極端ではない。原因を探ると1966年のときには婦人雑誌が大々的に取り上げたために影響が大きくなったとわかったのである(注4)。
ここでチベットに目を向けると、いい意味で大衆雑誌が普及していないおかげで、玉石混合の健康情報が社会に影響を及ぼさない。事実、チベット人は日本人ほどに健康を強く意識しないし日常の会話に医学の話題はそれほど登らない。日本の本屋に行けば一般人向けのコーナに美容、痩身、糖尿病、癌、リウマチなどに関する書籍が並んでいるが、チベット語ではそういった本はほとんどないし、仮にあってもチベット人が積極的に購入することはまずない。また一般のチベット人は医学聖典『四部医典』を学ぶことはなく、ルン、ティーパ、ベーケンなど医学理論は専門家が学ぶものとして関心を向けない。だから、チベット医学での健康法について、健康法熱狂国の日本人から何か凄いことを期待されると歯切れが悪くなるのが正直なところである。こうしてチベット医学と現代日本の医学を比較することで、両者のもっとも大きな違いは「民衆が健康を強く意識しているか否か」、つまり民衆の姿勢にこそあるのではという仮説が浮かび上がってきた。
ただし四部医典のなかで医学の目的は「仏教の修行をするために無病の身体を得る」とされており、無病(健康)の目的が二次的なものとして設定されていることに注目してほしい。ときおりチベット人が「健康なんて意識しない」とやや投げやりに語る背景には、こうした仏教観とともに、健康を強く意識しすぎる外国人への皮肉が込められていることが多く、けっして健康をないがしろにしているわけではない。ちなみにチベット語で「健康」はトゥテンといい、「適合する(トゥ)飲食を、服用する(テン)」に語源があるが、英語のhealthに対応させて1960年以降に生まれた新しい単語であり、四部医典には登場しない。
僕個人に関していえば健康を強く意識する日本社会で育ち、健康をあまり意識しないチベット社会で10年暮らしたおかげで、ほどよいバランスがとれたようだ。よく歩き、畑仕事をし、薪を割り、よく寝て、お客さんとおしゃべりをする。テレビやインターネットはほどほどにして情報過多にならない。こうしてチベット的な生活を送り、チベット的に健康を二次的な目的とするおかげで、結果的に(いまのところは)健康的な生活を送ることができている気がする。
注1『本朝醫談』(奈須恒徳 1822)。
また、『江戸の病』(氏家幹人 講談社選書メチエ 2009)によると、江戸末期には男性の陰茎が健康に効くとして、処刑場の役人に賄賂を渡して獲得するケースが相次いだため、明治新政府は禁止のお触れを出したほどであったという。
注2 参考『霊術家の黄金時代』(井村宏次 BNP 2014年)
『近現代日本の民間精神療法』(栗田英彦他 国書刊行会 2019)
健康法にはたとえば、催眠術、手かざし療法、気合術、カイロプラクティスなどがある。余談ではあるが、「病院」という単語が使われたのは1783年、蘭学者森島中良の『紅毛雑話』で、オランダ語のZiekehuisの訳語である。『医療民俗学論』(根岸謙之助 雄山閣出版 1991)
注3 グランドでは必ず裸足で運動する、教室前の廊下を100往復雑巾がけする「ピカピカ運動」などの取り組みがあった。10月3日にたくさんの審査員が小学校を訪れて、その日はみんなとっても「いい子」にしていたことを覚えている。当時の生徒会長と保健委員長が皇居に招かれて天皇陛下と謁見するほどの栄誉だった。
注4 参考『理科教育史』(板倉聖宣 仮説社 増補版は2009年)
Wikipediaによると1906年は4%、1966年は25%の減少。
アムチ小川康さんと歩く
【現地集合】~信州上田・別所温泉で学ぶ~百薬-ひゃくやく-の世界2日間