第332話 ポ・モ ~男・女~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

同級生ソナム

 日本人女性と交際していたチベット人は、気がつくと「そうね」「……だわ」など、彼女を真似て日本語が女性化していた。彼にしてみれば、言語に女性言葉があるなどとは夢にも思わなかったようだ。さらに、彼は僕に椅子をすすめながら笑顔で「おすわり!」と言い放ち、すかさず彼女が「それは犬に使う言葉でしょ。人にはダメ!」と注意していた。日本語はなんとも使い分けが難しい言語のようだ。
 チベット語は男女間に話し言葉の違いがまったくなく、また、たとえばフランス語では「ブラボー(素晴らしい)」「ブラバー」と男女で単語が変化するが、チベット語は書き言葉も含めて変化しない。改めて日本語と比べるとチベット語には「女々しい」という女性蔑視的な表現や、「男なら泣くな」「男に二言はない」なんていう男性を縛る諺(ことわざ)は存在しないことに気がつかされた。ちなみに『女ことばってなんなのかしら?』(平野 卿子 河出新書 2023年)によると、日本の女性言葉は明治時代の女学生言葉に期限があり、江戸時代までは言語に男女の区別がなかったというから、時代劇は忠実に再現してみてほしいものだ。なお、チベット語で男はポ、女はモという。

メンツィカン文化祭

 日本人女性と結婚した別のチベット人男性の話をもうひとつ。彼と日本語で会話しているとき、なにげに僕が「俺が」というと彼は話を遮って「俺っていう日本語はすごく偉そうだよね」といって僕を本気で笑い飛ばした。話の腰を折られてムッとしたけれど、同時にハッとさせられ、そのとき2001年以来、一人称として「俺」は極力使わなくなったことを考えると、あのときの彼の影響は大きかった。たしかにチベット語では自分を表す一人称は老若男女を問わず「ンガ」だけで、自分を勇壮に、はたまた謙虚に修飾する一人称は存在しない(ただし文語ではダク、テンといった謙譲語がある)。しかも「ンガ」という「ン」からはじまる発音はなんとも力が入りにくいためか自我が弱くなる気がする。日本語の一人称で「俺」を封印すると選択肢は「僕」か「わたくし」になり、どちらも妙にかしこまった感じになってしまい、これはこれでしっくりこない。日本語は一人称の選択がなんとも難しい言語だ。 

メンツィカン教室2002年
メンツィカン教室2002年
メンツィカン同級生たち 2009年
メンツィカン同級生たち 2009年


 こうした言語体系が少なからず関係しているのではないか、というのはまったくの素人考察ではあるが、チベット社会では女性が感情を激しく表に出すことを日本ほどに禁忌視しないなあと気が付かされた。なるほど、言語が同じならば、男女間の口論でもハンディは存在しせず、そういえば日本語の女性詞だと、ちょっと迫力に欠けてしまう。前出の本によると、故・永六輔さんはたとえ怒っているときでも「男ことば」より「女ことば」のほうが、やさしく感じられるから女性的なことばを使っていたという()。

言語体系の違いをさらにもうひとつ。チベット語には教師や高僧に接するときの尊敬語はあるが、学校を含めた一般社会では先輩後輩、上司部下の区別はなく日本流にいえばみんなタメ口である。2つ3つの年の差どころか、そもそも年齢を気にしないし、気にしないから年齢を相手に訊ねることも気にしない。日本社会が中学高校時代の先輩後輩関係にはじまり、会社ではタテ割の人間関係によって厳しく支配されているのは、こうした言語体系が少しは関係しているのではと、これまた素人考察している。僕個人としては、50歳を過ぎて新しく友人関係を築こうとする場合、どうしても丁寧語っぽい日本語からいつまでも脱却できずフランクな関係を築きにくいことが悩みの種だが、仮にチベット語ならばその弊害はなく他者との距離は縮めやすいなと感じている。

同級生ハクドン

 こう語るとチベットが理想的な平等社会のように映るかもしれないが、どの社会にも長所短所があるというもの。ただ、こうして異言語の社会で暮らしたみたことで、それまで自明のものとして話していた日本語を客観視するとともに、複雑な日本語を少しだけ楽しめるようになった気がしている。例えば、永六輔さんにならってしばらくのあいだ女言葉を試してみましたが妻からはたいへん不評でした(笑)。


永六輔は、自らを「男のおばさん」と称して、女性的なことばを使っていました。その理由を、たとえ怒っているときでも「男ことば」より「女ことば」のほうが、やさしく感じられるからだと、永は語っています。
『女ことばってなんなのかしら?』(平野 卿子 河出新書 2023年)P193

補足1
チベット語で妻はキ(生まれ)メン(低)といい、その語源は差別的である。そのため2010年ころのチベット社会では、欧米文化の影響を受けてであろうが、この単語について問題視されはじめていた。また、男性僧侶に比べて尼僧の立場が低いことが問題視されていたが(第180話)、2012年に尼僧もゲシェー(博士)の資格を得ることが可能になるなど制度的な改善は進んでいる。

補足2
たとえば中国においては女性特有の感嘆詞がいくつかあるだけで、基本的に男女の区別はない。一人称も中国語は「我(ウォ)」だけである。

 

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