第335話ドゥムラ ~庭~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

4月初旬、平凡社から『別冊太陽 ~平屋特集~』への原稿依頼、しかも巻頭エッセーという大役が舞い込んで、ちょっと驚いた。しかもお題は「庭の愉しみ」というのでかなり戸惑った。なにしろ庭園を積極的に愛でた記憶はなく、森のくすり塾の庭は「たまたまそうなってしまった」無計画な庭である。裏の薬草園には薬草たちが雑然と半自生化している。たぶん先方は整備されたハーブガーデンを想像しているのだろう。それでもこの素敵な勘違いが素敵な出会いに変わっていきそうな予感がしたので、とりあえず引き受けることにした。

文章のイメージがまったく浮かばないので、まずは幼少期から想いを巡らせてみる。富山の実家はコの字型で真ん中に大きな庭があった。キンモクセイやモクレン、松、ツツジ、ボタン、杉、椎茸原木などの木々があったのを覚えている。愛犬と愛猫が庭を走り回り、晩秋になると祖父が藁縄で冬囲いを作っていた。庭に面した縁側でキジバトの声を聞きながらボーっとするのが至福のひとときだった。冬には松の木の下が雪洞になるので秘密基地ごっこを楽しんだ。なぜかそこでは祖母が作った「パン耳の油揚げ」を食べることになっていた。そうそう、そういえば兄との「宝探しごっこ」(第5話)はこの庭が舞台だった。その思い出を自著(2011年)の冒頭でノスタルジックに紹介していたのを、いま思い出した。

実家の庭と愛犬クーコ 1980年頃

森のくすり塾の前庭

「庭の松の木から十歩、南に進み、次に西に六歩……」

兄が作った暗号文を手掛かりに宝物を探しに出かける。その場所を見つけるとまた暗号文が隠されていて、なかなか宝物には辿り着けないが、難しければ難しいほど興奮度は高まってくる。そうして発見した宝は、どんなガラクタであっても輝いて見えたものだった。どんなガラクタだったのだろう……、今となっては色褪せた記憶も、その時のスリルと楽しさだけは僕の魂にしっかりと刻み込まれていたに違いない。それから二十数年後、僕を「チベット医学・ヒマラヤの宝探し」へと導いたのは、大自然に囲まれたふるさと富山での、この幼い日の「宝探しごっこ」だったと思っている。

『僕は日本でたったひとりのチベット医になった』(小川康 径書房 2011)

 

現在のノルブリンカ(ラサ)

現在のノルブリンカ(チベット自治区ラサ)

チベット社会ではどうだろうと10年間の北インド・ダラムサラ生活を振り返ってみた。チベット語では草木花で彩った庭をドゥム(草木)ラ(園)という。厳しい気候のため日本に比べると草花の多様性には劣るものの、だからこそチベット人たちは草花を積極的に愛でる。特にダライ・ラマ13世(1879~1933)は花をこよなく愛でられ、ノルブリンカ宮殿のドゥムラはその象徴である。ただし僕が暮らした北インド・ダラムサラは亡命の地ということもあり、庭らしい庭は少なかったが、だからこそ、小さなアパートのベランダには花の鉢がところせましと並べられていた。

問答

メンツィカン(チベット医学大学)には大きな中庭があり、昼間は職員の駐車場、夕暮れ時にはバドミントンコートとして、夜と朝には学生たちが暗誦の練習に励んでいたことが思い出される。閉鎖的な室内ではなく、庭のようにほどよく開放された空間でこそ暗誦に集中できるというもの。ほどよく外界からの視線にさらされるおかげでやる気が高まる。それは言い換えるならば、学問と社会とのつながりを緩やかに保つ場所といえる。なかでも寺院の庭はチョー(仏法)ラ(園)と呼ばれ、そこでは学僧たちが問答(第148話)を繰り広げている。チョーラには一般人も入れるので、そのにぎやかな光景を誰もが見守ることができる。やはり学問にはほどよく開放的な庭がふさわしい。そんなチベット社会での思い出をまとめた自著の最後は次の言葉で締めくくっていた。

この十年間、心配しながらも温かく見守り続けてくれた家族に感謝します。十年間かかって探し当てた「ヒマラヤの宝箱」の中には、小さい頃の懐かしいふるさとの思い出がたくさん詰まっていました。 

 幼少期の庭に「チベット医学」を目指す切っ掛けをみつけ、そして、巡り巡ってチベットで見つけた宝箱を開けるとそこは生まれ育ったふるさと、つまりスタート地点だった。庭は愛でる対象ではなくとも、人生を支えてくれる土台として僕のなかに脈々と息づいていたようだ。

そうして想いを巡らせているうちに、庭について語る自信が湧き出てきた。二ヶ月間、何度も書き直して完成したエッセーのタイトルは「庭の愉しみ ~薬草と学問のアジール~」。ぜひ、ご一読ください。

 
別冊太陽~小さな平屋に住む~(平凡社のサイトへ)

なおこのエッセー第335話と内容は重複していません。

小川さんの講座

アムチ・小川康さんのオンライン講座

《オンライン連続講座》アムチ・小川康さんの~くすり教室~

出発日設定2024/09/06(金)~全4回
ご旅行代金3,300円~12,000円
出発地オンライン

小川康さんが誘う東秩父村へ

暮らしの”くすり塾”-東秩父村- 【秋】よみがえる紫雲膏

出発日設定2024/10/12(土)
ご旅行代金7,480円
出発地東武東上線・小川町駅集合

小川康さんが誘う東秩父村へ

暮らしの”くすり塾”-東秩父村- 【冬】おなじみ七味唐辛子

出発日設定2024/12/07(土)
ご旅行代金7,480円
出発地東武東上線・小川町駅集合

コメントを残す

※メールアドレスが公開されることはありません。