第338話 ダラニ ~真言~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

開催した寺院

チベット医学を目指す直前の25~28歳のころ、僕は山伏に強いあこがれを抱いていた。薬草、キノコ、山菜の知識に秀でた山伏になるべく、休日には北信五岳(注1)などの山々を駆け巡った。山伏は民衆を救うために山に入って修行をし、民衆は山伏を尊敬の念とともに見守る。たとえばキハダの樹(第174話)を山でみつけて製薬し、病に苦しむ民衆に分け与えたという。そのわかりやすい関係に僕は惹かれたのだろう。だから帰国後の2015年に「かっこいい山伏になるための薬草講座」を戸隠神社で開催したのは(第307話)けっして軽いノリではなかった。あいにく山伏は誰一人として参加してくれなかったけれど。

あれから9年後の2024年6月、上田市の隣の隣、千曲市から天台宗の山伏がお店にふらっと訪れた。以前から僕のことが気にかかっていたという。そんな僕たちは、薬草やキノコの智慧を忘れてしまった山伏の現状を語り合ううちに意気投合。山伏たちによるキハダの製薬を復活しようと盛り上がったのである。そして一か月後の7月26日、筑北村の寺院の境内に山伏5名と関係者5名が集まった。まずは午前中、修験の山の中腹まで薬草観察をしながら山駆けをした。法螺貝の音を鳴り響かせる白装束の山伏たちの後ろに続いていく自分がまるで人ごとのように感じられた。山伏になりたいという夢が思いもかけずに実現しているからである。やはり思い描いた夢は忘れたころに時間差で実現するようだ(第169話)。

山伏と山を駆ける

そして午後、いよいよ製薬がはじまった。本来ならば近隣でキハダの樹を儀礼にしたがって伐採したかったが残念ながら発見できなかった。そこで、あらかじめ採取しておいたキハダを用いることにした。ここからは「仙薬製法作法次第 黄檗御焚き上げ」に則って作業を進めた。この行法は主催してくれた山伏さんが、前もって調べ手探りで復活させたものである。まずは一同着床。次に山伏が火打石で火をおこし点火した。その手さばきのよさに参加者から感嘆の声が上がる。薪に火が燃え移り鍋の温度が上がってくる。キハダを細かく砕いて水の中に入れ、さらに火力を増した。山伏たちによる真言が境内に高らかに響き渡り、薬のなかに溶け込んでいく。

火打石による点火

キハダの代表薬である陀羅尼助の陀羅尼とはサンスクリット語ダラニの音写であり、真言という意味がある。真言を唱えながら製薬していたことに由来する。そういえば陀羅尼助、または御岳信仰に起源を有する百草丸のルーツがチベット医学にあるのではと空想を巡らせたこともあった(第32話)

チベットでは四月(サカダワ)に、一カ月かけて僧俗一体となった薬の法要が営まれる。民衆はお寺で、ときに自宅で数珠を片手に観音菩薩の真言「オム・マニ・ペメ・フム」を唱えることで薬に加持を与えていく。そして一カ月後「マニ・リルプ(観音菩薩の丸薬)」という名称でチベット人に無料で配布される(第36話)。チベット人は薬をお守り代わりに身につけ、風邪をひいたときや大事な試験の前などに服用することが多い。また、チベット人は丸薬を服用するとき、自分の薬鉢に入れて真言を唱えながらすり潰し、粉にしてからお湯で服用する。こうして民衆は真言を唱えることで薬に関わり、結果的に薬に対する当事者意識が生みだされているといえる。

ただし、難病が治るなど、真言に奇跡のパワーを望む意味合いは(ゼロではないが、日本に比べると)弱いことを補足しておきたい。なぜなら、基本的に真言や読経は個人の願いを叶えるためではなく、衆生すべてのためとされるからである。そもそも、考えてみればほとんどのチベット人が毎日、時間の多少に関わらず真言を唱えている社会である。真言の裾野が日本と比べるまでもなくきわめて広い。したがって真言に対する特別な期待感は必然的に薄まってしまうけれども、そのぶん日常の一部として確実に位置づいている。

キハダの製薬

いっぽう日本では真言・マントラというと特別なパワー、もしくは怪しげなものとして捉えられる傾向がある。真言が唱えられたから癌など難病が治るとか、さらにはそれが高額で販売される可能性があるので十分すぎるほどの注意が必要となる(注2)。だからこそ、歴史の流れのなかにいる正式な山伏たちとともに、日本の確かな歴史とつながらなければならない。

マニ・リルプのように、檀家さんたちが神社、寺院に集まって薬を作りながら、一心に真言を唱える儀式が日本にあってもいい。快晴に恵まれた今日、チベットの医学の教えが、日本の歴史の空白に橋を架けたような、そんな充実感に満たされた。

注1
北信五岳(ほくしんごがく)=長野県北信地方の主に長野盆地から望める妙高山、斑尾山、黒姫山、戸隠山、飯綱山の5つの山の総称である。(Wikipedia)より

注2
今日の真言や他のマントラは、病や自然災害を鎮めるためにあります。しかし、世の中全てのことを、真言で解決することはできません。それは、原因のない結果は存在しないからです。その病や災害などの原因は、長い時間をかけて生じ、簡単に止めたり帰ることはできません。「菩提心について」(キャブジェ・ミンリン・ケンチェ・リンポチェ。チベット文化研究会報2023年1月号)

 

追記
後日、檀家さんから「キハダを見つけたよ」とお寺に内皮が届けられたそうです。

 

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