第252回 テンマ ~莢と豆~

収穫した大豆収穫した大豆

 昨年11月、森の奥から不思議な鳴き声が響いてきた。「ギュイーン」「グォーン」でもなく擬音語として表記しづらい声だ。「なんの鳥だろう?」と妻と話しているところへ、ちょうど薪割り青年がやってきた。彼は一年以上に渡って森のくすり塾の薪を割ってくれているとともに、地元の猟師さんに弟子入りして熊、鹿、猪と対峙している。「あれは、雄鹿の鳴き声っすよ。秋になると発情して気持ち悪い声で鳴くんですって」と教えてくれた。その瞬間、僕はメンツィカン医学生に戻った。脈診の章「冬の三ヶ月、土と水が凍り、黒い鹿が泣き声を発するとき。七十二日間は水の元素が優勢で腎臓脈が打つ。(結尾タントラ第1章)」の記述が脳裏をよぎり、雄鹿のおかげで10年越しにようやく四部医典の教えが腑に落ちたのである。そのほか春はヒバリが鳴くとき、夏はカッコウが鳴くとき、秋はイナゴの羽音が響くときとあるがイナゴの羽音はまだ体感していない。

冬に鳴く雄鹿 絵解き図
冬に鳴く雄鹿 絵解き図

 この秋、米とハトムギと大豆を畑で育て、すべて手作業で脱穀した。そのときはじめて「穀物(ドゥ)は莢のあるものと莢のないものに分けられる。(釈義タントラ第16章)」を理解することができた。莢のないものは米、大麦、小麦、黍(きび)など。莢のあるものは豆(テンマ)とされている。莢のある豆はできるだけカラカラに乾燥し、触っただけで莢がはじけるようにしたうえで棒で叩く。または一莢ずつ手で豆を採っていく。米とハトムギは天日干しした後に摺鉢、石臼を使って地道に作業したのだが、なるほど、作業の性質はまったく異なる。現代の専業農家さんはすべて機械化されているので、これは手作業によってはじめて実感できる分類法といえる。

今年の9月末、台風22号は「伊勢湾台風の再来」との前評判だった。近所のおじさんが怒鳴りこんできて「おい! 手伝え!」といわれるがままに、山側の側溝掃除へと連れていかれた。側溝が詰まると雨水が一気にあふれて下方に流れだし大災害へと発展するというが、最初はピンとこなかった。しかし、普段まったく近所づきあいをしないおじさんの言葉だけに、不思議と緊張感が湧いてきた。「この側溝が詰まると、おいのところ(森のくすり塾)に水が流れ込むぞ。土嚢袋で土手を作っておけ!」と怒鳴るおじさんの恐い顔を見ながら、僕の脳裏には「病が拡大したときは治療が難しくなる。たとえば洪水が迫るときに正面に土手を築いても水は脇に流れてしまう。しかしその脇でさらに受け止めていくと次第に水の勢いは衰えて土手は功を奏する。(結尾タントラ第27章)」という喩え話がよぎっていたのであった。つまり、病の勢いが強いときは一気に治そうとはせずに、少しずつ勢いを殺しながら治療せよという心得である。そして、その日の夕方、土嚢袋を大量に買い込み、災害に備えたのだが、幸いにして被害は受けなかった。

土手を築く 絵解き図土手を築く 絵解き図

 そういえば2年間に渡って森のくすり塾を建設しながら(第203話)四部医典の「身体形成の章」を復習していた。この章は身体構造を建物の構造物に喩えている。骨盤は家の基礎。胸骨は梁。肋骨は垂木。感覚器官は窓、脈管と神経は土壁など(第222話)。八世紀当時のチベット人ならば、たとえ医学生であっても建築に携わっていたということがわかる。

また薪ストーブ(第170話)のおかげで「熱病治療の章」が復習できた。たとえば未熟熱は「湿った木に火をつけると、まず煙が発生するように」。潜伏熱は「隠れた熱は、埋まっている火と同じである」などなどである。薪といえば丸太を斧で割っていると、四部医典の学び以前、チベット語を学んでいたころが懐かしく思い出された(第85話)。「私は斧(チベット語タレ)で木を伐りました」という例文がよくチベット語文法の学びに使われていたからである。同様に「私はヤクに突きかかられました」という例文も、ヒマラヤで実際に体験したことで納得できた。

豆を採る豆を採る

 暗誦した四部医典の言葉は条件が整ったときに「ふっと」語りかけてくる。1000年を越えて、異民族であるこの僕にですらも訴えかけるほどの普遍性を具えている。野生動物と対峙し、農作物を育て、水をコントロールし、家を建て、斧を使い、火を焚く。こうして四部医典が編纂された、その時代の暮らしの身体性を体験することで、表面的な理解だった一節を腑に落とすことができる。きっと、まだまだ腑に落ちていない四部医典の教えが無数にあるだろう。来年2019年も、また新たな気づきが訪れるのを期待している。



参考
豆はセンマとも発音、表記されます。



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