10月上旬、原木栽培(第223話)のナメコが一斉に大発生した。最初は「わ―、可愛いー」とはしゃいでいた妻も、大量ナメコ鍋を食べた翌日からは一気にテンションが下がってしまった。キノコ大好きの僕もさすがに食べ切れない。そこで近所の知人に配ったり、森のくすり塾にタイミング良く来店されたお客さんにプレゼントすることで、無駄なくナメコシーズンを終えることができた。やれやれ。しかし、考えてみればなんとも贅沢な悩みではないか。
森の恵みのカレンダーは3月中旬のフキノトウから幕を開ける。とはいえ3回ほど採取してフキ味噌にするくらいで、そのほとんどは呆けて花開いていくことになる。4月中旬には畑の片隅に野蒜(ノビル)が勝手にたくさん出てくる。たまたま訪れた家族に「ご自由にどうぞ」とスコップを渡すと子どもだけでなく大人もノビル掘りに夢中になった。そのまま生で食べてもいいが、軽く湯通しして酢味噌で食べると辛味がマイルドになって一段と美味しい。
5月上旬はヨモギの旬を迎え、それこそ雑草のように生えてくる。ここ標高700mあたりのヨモギは香りがほどよく強くて草餅に向いている。お灸のモグサにすることも考えて多めに採取して乾燥した。5月下旬にはタケノコが敷地内にどんどん出てくる。ハチクダケという種類で、アク抜きしなくても食べることができる。この時期は毎夜、タケノコのバター炒め、朝はタケノコの味噌汁になるが、さすがにそうは続かない。タケノコを採っては店の縁側に並べて、来客に持って帰ってもらった。
7月には梅が採れる。去年は梅酒だったが今年は梅干し作りに(妻が)挑戦し美味しく浸けあがった。10月はクリ(第224話)が食べ切れないほどに実り、やはり運よく訪れたお客さんに持って帰ってもらった。その他、野倉集落ではワラビ、ゼンマイ、オニクルミ、桑の実、スグリなどが豊富に採取できる。ただ、意外と僕も含めて集落の人たちはちょっと食べるだけで執着はきわめて薄く、都会の人たちが「山の幸」に憧れるほどに、その価値は高くはない。たまたまそこにあるから少し食べているような、それこそ“自然”な営みである。こうした環境はきわめてチベット医学的に豊かだなあと、この土地と出会えた偶然に感謝しているところである。
ヒマラヤ薬草実習で採取する薬草はすべて自然に生えているものばかり。自分たちで採取する天然物のいいところは愛着は生まれるけれど執着は生まれないことにあると思う。執着がないから薬に関して金銭対価としての概念は生まれにくい。また、自分たちで採取する身近な薬草だからゆえに必要以上に特別視することもない。よく「メンツィカンでは薬草の栽培をしていますか」と問われる。いちおうダージリン地方で大黄など試験的に栽培しているが、それは全使用量の1パーセントにも満たない。前述の質問同様に「森のくすり塾では薬草を栽培していますか」と問われることがよくある。フェンネル、トウキ、シャクヤク、オウレン、ハトムギ、キハダ、ナツメなどを試験的なレベルで栽培しているが、販売できるレベルではなく主にワークショップの教材として活用している。ただ、これら薬草が敷地内で、それこそノビルのように勝手に繁殖してくれたらと願いつつ、木を伐り、下草を刈り、畑を耕すなどして下地作りに力を入れているところである。ちなみにチベット語で「豊か」はチュッポという。
ここでちょっと補足しておきたい。自然のものは栽培のものに比べると総じて「強い力」を持っている。抽象的な表現になってしまったが、たしかにノビルやタケノコ、野生のキノコを喜び勇んで大量に食べると少し具合が悪くなる。野生で生きてきたゆえに自己防衛反応として強い成分(アク)を持っているからである。こうした成分がときに薬として病に効果を示し、身体の免疫力をあげる。ただ無条件に健康にいいわけではないので食べすぎは禁物である。特に子どもには慎重を期していただきたい。同じようにチベット薬も自然のものだからといって優しい薬ではないことを強調しておきたい。
10月24日、原木から出はじめたヒラタケを採っていたらお店から「お客さーーん」と妻の大声が響いた。「はーーい」と返事をしてから改めてヒラタケを多めに採取して持ち帰った。たしかに原木の伐採、運搬、菌の植え付けなど最初は苦労したとはいえ、今となっては天然と同じ豊かさを感じさせてくれる。そしてお客さんに「どうぞ」と差し上げると「前回は栗をいただきました」と笑顔で答えてくれた。森の豊かさと恵み。これもまた“くすり”の一つなのかもしれない。
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