出雲へ

古事記には、実にたくさんの神様が出てくる。普段は日本中に散らばっている神様たちだが、旧暦の10月にはこぞって出雲に帰って来られる。そんな神様たちで賑やかな出雲へ、弊社の『古事記の神々をめぐる旅「その2・出雲」3日間』のツアーで11/18から行ってきた。

芝田勝茂講師のお話を以前からお聴きしたかったが、なかなか時間が取れず、やっとそれが実現し2か月ほど前から楽しみにしていた。実際にお話を拝聴すると、芝田講師は、古事記はもちろんだが、兎に角、引き出しの種類が多く深い。魏志倭人伝に伊勢物語や源氏物語などなど、次々と色々な話が出てくる。かなり大胆な推測も多いが、それがまた面白い。

そんな芝田講師も、大社造りの本殿正面の鬼瓦部分に「大」や「有」と記されている意味を御存じなかったが、芝田講師自ら神魂(かもす)神社の巫女さんに「有」の意味を尋ねてくださった。「有」は、十と月の組み合わせ、つまり10月のこと。則ち、出雲においては神在月(出雲以外は神無月)のことだそうだ。なるほど、では、「大」は何か。十に一かで11月か? と二人で推測してみたがこれは確認できなかった。

気になったので、後で調べてみると、出雲大社の神紋は「二重亀甲紋と剣花菱」だが、剣花菱の部分に「有」と記した二重亀甲紋を使った時代もあったそうだ。この二重亀甲紋と有の組み合わせの紋は、神魂(かもす)神社では今も使われている。つまり、神魂神社の本殿の鬼瓦の部分に記された「有」は神紋だったのである。ちなみに、神魂神社は、現存する大社造の中で最も古いといわれており、国宝に指定されている。

また、出雲大社の神紋の剣花菱は剣と勾玉と鏡、即ち三種の神器だそうだ。私の勝手な推測だが、「有」から「剣花菱」への変更は、出雲と大和の争いの結果かと思えてならない。大社造の本殿は、切妻造の妻入り側を正面に高く大きく聳え立つ。そのてっぺんに鬼瓦の一種と思われる瓦があり、そこに神紋が記されている。魔除けとしては鬼より強力かもしれない。そんな意味合いをあれこれ考えるだけでも出雲は面白い。

ツアー3日目の最後は、壮大なる弥生遺跡・妻木晩田(むきばんだ)遺跡へ行った。復元された竪穴式住居は、まるで大社造のような形をしている。否、こちらが大社造りの元になったのだろうと芝田講師は言う。とはいっても、出雲大社の創建は神代となっていて弥生時代とどう重なりあっていたのか私にはよくわからない。もしかしたら、大社をみてそれに似せて自分の家を建てたのかもしれない。根拠のない素人の推測だが、いやはや楽しい。すこし、芝田講師の推測癖が移ったのかもしれない。

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